苦しみの中で自分と向き合うあなたへ【後編】
こんにちは。
僕は、10年間のサラリーマン生活でメンタルを壊してうつ病→双極性障害を発症し、現在は、職を離れて自分と向き合う日々を送っております。
この記事では、自分と向き合うことでぼんやりと見えてきた本当の僕の姿をご紹介致します。なお、今回は後編になります。
前編をご覧になっていない方は、是非とも下記の前編をみてからご覧ください。
さて、僕は精神病院に入院したり、自殺未遂を繰り返したり、苦しみながらも目を逸らさずに本当の自分の姿を見つめる努力を重ねてきました。
(ここ2,3年でノート数冊分、こんなメモばかり書いています💦)
その結果、到底認めたくもなく、目に入れたくもない反吐が出る程醜く情けない姿をした自分の姿がみえました。
前回もお伝えしましたが、この記事を発信することが誰かの役に立つかどうかは自信ないんです。正直、今の僕には分かりません。でも、どうしても書きたいんです。
僕という何者でもない人間の生きた物語を伝えたいんです。
ありのままの僕を誰かに知って欲しいんです。
どうか、最後までお付き合いの程、宜しくお願いいたします。
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大人の僕が心の奥底にいる子供の僕に会いに行く話
自分の外に苦しみの原因を見出すことを諦めた僕は、自分自身の内に苦しみの原因を訪ねる旅に出かけました。根気強く、自分に優しく語りかけました。
時には何も話さず、そっと彼の傍に寄り添うこともありました。
君を苦しめているのは何?
今君はどんな気分なの?
僕に言いたいことがあったら、何でもいいから君の話を聞かせてくれないか?
彼の隣のベンチに優しく座り、彼が話しかけてくれるのを辛抱強く待ちました。
これは、専門的にはフォーカシングという心理、催眠療法です。
興味のある人はググってみて下さいね(いつか、フォーカシングの体験記の記事も書きますね。)
長い沈黙の後、遂に彼は中学1,2年頃のある夜の日のことを静かに僕に語り掛けてくれました。
- 彼は、布団の中に入ってるけどまだ眠ってはいなく、意識がある。そして、ふすまの向こうで両親が話す内容を気にしている。
- 母が父に向って、彼がどうすればもっと勉強ができるようになるのか真剣に相談しているように聞こえる。
- 彼はふすまを開ける
-
両親は話を中断して、彼の方に微笑みかける。
彼はとても不安で苦しいと僕に教えてくれました。
彼には、とても優秀で勉強ができる姉がいます。
確かに僕も、父が彼の通信簿をみた後に、口直しに姉の通信簿をみようといったことを覚えています。
彼は自分の成績がこのままではダメなんだと考えるようになったと言いました。
それがとても苦しいのだと僕に教えてくれました。
両親はいつか彼も姉のように勉強が出来るようになると彼に聞かせていたので、彼自身もそうならないといけないんだと思ったようです。
僕は、勉強はダメでも他に良いところがあるから良いんだと両親に言われたでしょというと、彼は勉強もできなければ両親が悲しむからダメなんだと答えました。
でも、どうしても姉のようには勉強が出来るようにはならないから苦しいんだと僕に教えてくれました。
彼は、両親のことがとても好きだったんだと思います。
そして、敏感な彼は両親に勉強ができない子供だと思われていることをとても良く知っていたんです。
彼が両親のことを嫌いだったのならば、反発したり、否定することで自分の道を歩むことができたかもしれません。
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中学のバレー部で植え付けられた能力が無いことへの恐怖心
優しい両親と、優秀な姉に囲まれて何不自由なく幼少期・思春期を過ごした彼は、自分の能力にコンプレックスを抱えているなんて夢にも思っていませんでした。
そんな彼は、中学でバレー部に入部しました。
その部活での経験が社会に対する僕の価値観をつくりあげました。
部活は完全な実力主義でもの凄く厳しいものでした。
最初、彼は補欠でした。しかし、厳しさのあまり次々と部員が退部していき、繰り上げの形で彼はレギュラーになりました。
彼は、とても苦しくて辞めたかったですが顧問のことが恐くて辞めると言えませんでした。
顧問は、完全に能力で人を判断する人でした。プレーが上手く、自分に従う人を可愛がり、下手な彼は受け入れてもらえませんでした。
個人の努力や、置かれた立場などは全く考慮されない、結果だけが全てのシビアな世界でした。能力に対するコンプレックスを抱える彼に顧問のやり方を跳ね返す力はなく、只々恐怖に怯える日々を過ごしました。
こうして、思春期のうちに、社会は能力がないと生きていけない恐ろしいところであり、自分は能力がないんだという価値観が出来上がってしまいました。
そして、その後何度も訪れる仕事で目上の人から自分の能力を否定される場面で相手を跳ね返したり、躱す術が無くなってしまいました。
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最後に
如何でしたか?
これが僕です。
両親・姉との生活で、
- 自分には能力がないというコンプレックスを抱き、
中学のバレーの経験で、
- 社会とは能力が無ければ生きていけないところという価値観が沁みつきました。
これまで37年間ずっと、自分の能力を信じることが出来ず、能力を付けなければ生きていけないところが社会なんだと思って生きてきたのが、僕なんです。
誤解のないように言っておきますが、両親・姉に恨みはありません。
さすがに中学の顧問には、まだ思春期で価値観も定まらない子供相手に教育者として何を僕に指導したかったのか理解できない思いがありますが。。
しかし、前を向いて生きていくために自分の運命として全てを受け入れたいと思います。気が狂いそうにはなりますが、いくら自分が情けなくて醜くても目を逸らさず、向き合いゆっくりと悲しみに浸りたいと思います。
まだまだ時間が掛かると思います。
ずっと、苦しかったよな。
でも、俺だけはどれだけ情けなくてもお前を受け入れてみせるからな。
これからも一緒に生きていこうね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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