精神疾患者の人生物語「④青年期編」
みなさま、こんにちは。
さて、ぴよたま氏の人生物語は思春期を経て、青年期に入っていきます。
今回の記事では、浪人生~大学院生の頃を振り返りたいと思います。
自分の心がどのように変化していったのかみつめていきたいと思います。
それでは、よろしくお願いいたします。
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過去の記事はコチラ!
精神疾患者の人生物語「①幼少期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「②思春期 前編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「③思春期 後編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
浪人生~大学3年生まで
環境
2歳年上の姉と両親の4人暮らし。
受験に失敗し、1年間浪人生となり予備校に通った。
高校で一番仲が良かったバレー部の友人も同じ予備校に通う事になったが、あまり会う機会もなく、勉強に集中する日々を送った。
1年後、第1志望の大学には合格できなかったが、東京にある国立大学に合格できた。この時は、手ごたえを感じることが出来て嬉しかった。
嬉しかったという気持ち以上に、何だか分からないが安堵した。
大学進学後は、場所がとっても遠方ということもあり、地元でバイトを少々しながらダラダラと生活するどこにでもいる平凡な大学生となった。
姉は、塾にも全く通わずに地元の公立の勉強だけで、自分よりもはるかにいい大学に進学。さらに、大学では超本格的なオーケストラの部活に勢力的に打ち込んでいるようだった。
姉は、幼稚園くらいからバイオリンを習っていた。
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エピソード
大学受験
自分の高校レベルからは、はるかに高いレベルの大学を受験したので、現役合格にはそもそも無理があった。
浪人時代は粛々と勉強をする日々だったが、やればやるほど結果が反映される手ごたえもありそれなりに充実していた。
第1志望に届かないところは、やはり自分らしいなと少し悲しかったけど、父親にもすごく褒められたのは純粋に嬉しかった。
大学生活
大学には仲の良い友人はほとんどいなかった。
周りは小さい頃からガリ勉だった奴らが多いという印象で退屈だった。
また、理系大学だったので、女性がいないこともつまらなかった。
一度、バレーサークルに入ってみたけど、上級生から的外れなプレーの指図を受けたり、スパイクを強く打つと空気を読めと言われたり、ノリが全く合わずに果てしなくつまらなかったために速攻でやめた。
また、僕はこれまでの人生ではグループで群れたりすることを意識することはなかったが、たまたま大学に入っていつも一緒にいるグループが次第に大きくなり最大8名の大集団となった。その中のリーダー格の一人と僕は全く性格が合わなかった。
それが原因で周りの人ともギクシャクして複数から嫌われたり、無視される経験をはじめてした。正直、もの凄くびっくりした。。
こんな経験でいじめを受けた人の気持ちを理解できるものではないが、複数の人から自分を否定される痛みについて、0.001mmくらいは学んだ。
この件は、相手があまりにも稚拙だったので、グループを抜けて一切関わらずに1人で行動するという選択をとる事ができた。
その後は、既に周りもグループが出来上がっている状態だったし、敢えて誰かと仲良くしようという意識はなかった。
1人だけ、高校でサッカーをやっていてけん玉2段でゲーマーで全国大会とかに呼ばれるような友人がいて、家に帰るのが面倒な時とかはよく泊めて貰った。
(今は、疎遠になってしまい音信不通。。彼は、元気かな~。げんき屋いったなぁー。会いたいなぁ。)
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当時を振り返って思う事
浪人時代は、不安もあったが目標に向かって着実に取り組み手ごたえもあったので、充実していた。一方、大学生活は3年生までは非常に退屈だった。
授業もいい加減に教える教授が多いと感じ、自分の疑問に正面から答えてくれる教授はいなかった。
分からないのはお前のせいだみたいな態度だった。納得できる解説を得られない僕にとっては、教授自体が本当に僕の抱く疑問に対する理解が出来ているのかと言う事が甚だ疑問だった。
大学4年生~大学院生時代
環境
両親と3人暮らし。(姉は今の旦那さまと同棲を開始。後に結婚。)
大学4年生から研究室に入り、勉強が楽しくなった。
その後、他大学の大学院へ進学。
はじめて、彼女が出来た。
エピソード
大学4年の時の教授との出会い
大学4年生から研究室に入り、教授と意気投合。上から押し付けるタイプの人ではなく、研究を心から楽しんでいる姿勢に強く共感できた。
勉強の面白さを教えて貰い、はじめて勉強にのめり込んだ。もはや、勉強と言うよりも完全に遊びになっていた。
ちなみに没頭したのは、量子力学。興味を持ってくれる読者の方がいらっしゃったので、いつか分かりやすく解説する記事を書きたいと思います。難しいと思うけど(^_^;)
教授は、僕の抱く「何故?」という疑問に対して、すべて僕が理解できる言葉で完璧に教えてくれた。学生に対しても敬語を使い、穏やかで器が大きな人だった。
この教授とのやり取りを通じて、これまでに感じたことのない深い手ごたえを感じることが出来た。単位を気にする他の同級生にとっては、全く理解も興味もないようなマニアックな量子力学の話を終始ゼミで話していた時間は、とても充実していた。
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はじめて出来た彼女との件
はじめて深く人と付き合う経験をした。それまでは、人は話せばどんなことでも基本的に分かり合えると信じていたのに意見が合わなく衝突することが多く戸惑いを覚えた。
当時、彼女はタバコを吸っていて自分が辞めて欲しいと言っても辞めなかったことが我慢できなかった。今になって思えば、自分の価値観を相手に押し付ける幼さで彼女にはとっても申し訳ないことをしたと思う。若き、苦い思い出。
当時を振り返って思う事
姉が家を出て、両親と3人での生活となった頃から次第に両親の抱える悩みも自分にみえるようになってきた。
子供の頃に思い描いて程、自分の両親は他の人と比べて優れている訳ではなく、沢山の苦労をしていたことを知り、自分は親に守られたネバーランドのような安全な世界で生きていたのだという感覚を持つようになり、悲しく、切なく、苦しく、そして感謝の気持ちを持ったことを覚えている。
自分は1人で社会に出ていき、苦労をしないで済むのだろうかという漠然とした不安が頭をよぎるようになった。
相変わらず、中途半端な自分があまり好きではなかったが彼女も出来てそれなりに充実した日々を送っていたように思う。
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最後に
さあ、以上で学生時代の振り返りは終わりました。
大学の後半から、学問の面白さに目覚めはじめて、無心で夢中になれるものに出会いました。周りがみえなくなる程にのめり込み、同じ情熱を持った人と話ができる喜びを体験しました。
次回から、いよいよ社会人編になります。
僕が社会人として終始苦しむことになるルーツは、社会人になった初っ端の体験にあると思います。
今後の自分の生き方をみつめる上でも、ココは避けて通ることができません。
それでは、今回はこれまで。次回お会いしましょう。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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精神疾患者の人生物語「⑤社会人編(1社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
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