精神疾患者の人生物語「③思春期 後編」

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こんにちは。

 

さて、ぴよたま氏の人生物語も第3弾まできました。

 

一体、誰得なんだよ、この記事は!!
不幸自慢?自分語りのかまってちゃん?
いやいやいや。って違いません💦そうなんです。正直、そうなんです…
ですが、もしかしたらこの世のどこかで苦しむ方に何かを届けられるかもしれない、ほんの少しでも力になれるかななんて思ったりもしちゃったりしてるんです。
僕が勝手に思っているだけですね。

 

もとい、みている方がいることを信じて、感謝しつつ、引き続きがんばりますよー
(不快な方。しつこく続けていってスミマセン🙇)

 

今回は高校時代です。
それでは、よろしくお願いいたします。

 

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過去の記事はコチラ!

精神疾患者の人生物語「①幼少期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「②思春期 前編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

 

環境

2歳年上の姉と両親の4人暮らし。
高校でも、バレー部に入部。引退まで続けた。
上下関係も厳しくなくて、顧問を含め交友関係も非常に良好。
姉は学区で一番よい公立高校へ進学。自分は、学区で2番目の高校を不合格となり、3番目の高校へ進学。

エピソード

高校受験

何となく、家族の体裁などを考慮すると学区で2番目の高校ならばメンツが保たれると思っていた。自分がそこに行きたいというよりも、両親が喜ぶと思った。
2番目の高校に落ちて、3番目の高校に進学することになったことは悲しかった。
その後、高校の中では成績が良かったが、2番目の高校の中では対して良くないだろう。ましてや、姉がいる1番の高校内で比較したら、自分なんて出来が悪い方に決まっていると常に頭で比較していた。
両親にもそのように認識されていたと思い込んでいた。
テストが返却される時に教師が最高得点と名前を呼んだりして自分の周りが「すげー」みたいに騒いでいたが、ちっとも嬉しくなかった。

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バレー部の活動

入部した経緯
別の中学のバレー経験者から誘われた。部活一色になるのが嫌だったのではじめは断ったが、中学時代の厳しい環境でやっていたこともあり、周りよりも実力に余裕があったことから、中学時代のような惨めな思いはしないで済むだろうと思い、何となく入部した。


部活の状況
非常に仲良く、楽しく活動が出来た。実力に不安を覚える必要もなく、周囲をサポートしたり、気遣ったりする余裕がある環境が自分にとって安心だった。
顧問とも非常に仲が良く、厳しさもあったが、恐いと感じることはなかった。

 

中学の顧問は完全に結果のみを求めたが、高校の顧問は生徒に少しでも良い経験をさせてあげたいという気持ちがあったと思う。その意味では、中学の環境よりは生ぬるいものだったと思う。完全に実力のみを求められる環境ではなかった。

 

一方で、高校でいくら良いプレーができても中学時代の同級生には足元にも及ばないということは少しだけ僕の気持ちを暗くした。
彼らはスポーツ推薦でバレー中心の生活をする程だったので、自分の活動は彼らからしたら、お遊びレベルだと思った。
勉強でも運動でも何だか中途半端な自分が残念でならなかった。

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当時を振り返って思う事

中学時代の生活と比較すると、考えられないような穏やかな平和な時期だった。
一方で、勉強も部活も第一線から退いた感が強く、何をしても心から楽しんだり、充実したり手ごたえを感じる事がなくスカスカな感じだった。

 

とにかく、劣等感の強さ故に周りと比較する気持ちが強すぎたと思う。
部活のチームメイトには心を開いていたが、クラスメイトなど他の人間とは全く深い付き合いをする気がしなかった。
勉強も中途半端だし、不良みたいなチャラいのもいたけど中途半端でつまらなかった。
中学のバレーのチームメイトの中にはバレーはめちゃくちゃ上手いのに、高校を辞めて暴走族になったような人もいて、何だかカリスマ性があって憧れた。

 

また、姉や中学で仲が良かった(憧れていた)友人はみな自分よりもいい高校に進学したし、明るくてハツラツと僕の目には映った。
それに対して、自分の高校の周りの人間は何だかすべてが中途半端で自分と同じようにどこかいじけて冷めているように感じた。
(言うまでもなく、事実はそんなことなどなく、自分の中で勝手に全く見当違いな認識をするようになってしまっていた。)

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最後に 

以上、高校時代のお話をさせて頂きました。

うーん。。
高校時代は全く悩みなどはありませんでしたが、こうして見つめなおしてみるとやはり、中学時代に形成されたコンプレックスの強さ故にとにかく勝ちたい。でないと、不安で堪らないという心理が根っこにあるような気がします。

 

考えれば考える程に、中学のバレー部の顧問に対してNO!と強く返すことが出来なかったことがその後の僕の人生に濃い影を落とすことになっていったと思います。


ちなみに、一つだけ言いたいことがあります。

 

僕は、僕の両親が子育てに失敗したとは思いたくないんです。
両親は、いつも優しく、懸命に僕に愛情を注ぎ育ててくれました。
あ。まだ二人とも生きてますよ。。。この文章もみています。
そして、何とか僕の苦しみを取り除こうとそれだけを考えて生きていると思います。

 

僕は2児の父親でもあります。
彼らに僕は何をしてやれるのでしょうか?

 

思春期に気を付けろと分かったところで、周りが出来る事は限りなく少ないです。
子供は周囲の人間がどれだけ愛しているとか関係なく、彼ら独自に頭で思考しますし、多くの複雑な感情を抱きます。

 

僕が子供達に出来る事は、彼らの幸せを信じる事かもしれません。
その為にも、まずは自分の幸せを信じなければいけないのだと思います。

両親も子供も、この地球に生まれ落ちた同志です。
お互いに出来る事はわずかかも知れませんが、お互いの幸せの為にともに頑張って生きようって言いたいですね。

 

話も飛んできたところで、そろそろ終わりにしたいと思います。

 

ご覧いただきありがとうございました。

 

👇続きの記事はコチラ
精神疾患者の人生物語「④青年期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

 

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