話し手の伝え方と聞き手の理解力~会話で大切なものとは?~

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いつの時代も変わらず、ヒトはヒトと分かり合うことや認め合うことを求めているのだと思います。

 

僕たち人間には、コミュニケーション、意思疎通のツールとして”コトバ”があり、そのおかげで”会話”をすることが出来ます。
この会話によって僕たち人間はどこまで分かり合ったり、認め合ったり出来るんですかね?

 

この記事では、会話について少しだけ深く考えてみたいと思います。

 

お付き合いの程、よろしくお願いします。

 

会話以外のコミュニケーション方法、すなわち、男女間の”性の交わり”についての記事はコチラをご覧ください。

www.piyotama.site

 

会話のステップをみてみよう! 

はじめに、会話の流れを考えてみましょう。

 

  1. まず、発信者が伝えたいこと(意図)を思い浮かべます。
  2. 次に、意図を言葉や身振りに託して受信者に向けて発信します。
  3. 続いて、発信者の言葉や身振りを受信者が受信します。
  4. 最後に、受信者が受信した言葉や身振りを踏まえて発信者の意図を解釈します。

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こんな流れですよね。

 

結局、会話っていうのは、

 

発信者が、自分の意図することを正確に受信者へ伝えるゲーム

 

もしくは、

 

受信者が、発信者の意図することを正確に解釈するゲーム

 

と言えますね。

 

発信者がバナナと伝えたいとして、受信者がバナナと解釈したのであれば、この会話(ゲーム)は成功!

 

一方、発信者がバナナと伝えたいとして、受信者がリンゴと解釈したのであれば、この会話(ゲーム)は失敗!

 

こんな具合ですね。

会話というゲームの成功、失敗は何処で決まるか?

さて、こうやって会話の流れを眺めてみると、会話というゲームを成功させるカギとなるのは、

 

発信者が自分の伝えたい意図を相手が理解しやすいカタチに出来る言葉や身振りなどの引き出しをどれだけ持っているか(発信側の工夫)

 

という点と、

 

受信者が発信者の意図を汲み取ったり、発信者自身が伝えたい意図を正確に表現できるように導くような聞き方ができるか(受信側の工夫)

 

と言えそうですね。

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話し手至上主義!?

ですが、僕らは子供のころから、とにもかくにも受信者側の工夫が出来るように訓練を受けます。

 

その為、固定観念として話し手至上主義という考えが根付いていきます。

 

人間的なスキル・能力を測る指標は、いかに発信側の意図を受信して正確に解釈出来るかという方向でのみ成績が付けられます。

 

テストで、問題の意図を汲み取り、正解を答えるというカタチは正に受信側の力量を問われていると言えますね。

 

ですが、上でお話してきたように、本来は会話(もう少し広げてコミュニケーション)というゲームは、発信者と受信者の双方の協力なくして成立しないものです。

 

つまり、失敗の場合(意思疎通が出来なかった時)の敗因は、受信者側だけでなく、発信者側にもあるということです。
はい。喧嘩両成敗なのです。

 

以下、すこしエンジンをふかします(笑)

 

学校で理解力がない生徒は、正確に受信が出来ない人間だから成績が劣
これでおしまいなんて、トンデモナイ!!!

 

寧ろ、理解がない生徒は、どのようにしたらもっと分かりやすい説明になるのかを先生に考えさせてくれる貴重な存在。
先生(発信者)にとってのこの上ない先生です。

 

僕は、生徒は安易に理解などを示してはいけないと思います。
寧ろ、そんないい加減な説明ではさっぱり分からないという主張を堂々とすればいい。
何なら、興味がないという姿勢も示せばいい。

先生がどうしても生徒に伝えたいという意欲があるのであれば、そこからがスタートだと思います。
どうしたら、もっと興味を持ってもらえるか?ここを真剣に考える必要があると思います。

 

そもそも、会話(コミュニケーション)は伝えたい人がいるからはじまります。

 

受信者にとにかく受信せよというのは、話し手至上主義も甚だしく、発信者の驕りであると思います。

【体験談】発信能力の化け物に出会い価値観が変わった!

 え~、コホン。

 

つい熱くなり、取り乱しました(笑)
お許しを。

 

こんなことを考えるようになったのには、とあるきっかけがあります。

 

僕は、これまでの人生で発信能力の化け物2人に出会いました。

 

大学教授

1人目は、大学時代の教授です。

 

大学時代には僕は物理学に魅了されていました。
そんな時のロマンチックなおはなしをコチラの記事で書いてますのでコチラも是非ご覧ください。

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この教授の凄い所は、相手がどの階層にいるのかを見極めて相手のレベルに適した表現が出来る事でした。

 

受信者にとって信じられないような難しい話をする際も、焦らず急に話を展開せずに、階段を一段ずつ確かめるように進んでいく。

 

段差を小さくし過ぎるとかえって段数や歩幅が増えて受信者にとって負担になるという配慮が出来る。

 

どのような投げかけをしても、こちらが気持ちよく納得できる形の回答が心地よく帰ってくる。

 

例えるならば、バナナとは?と聞いたとしたら、子供にはおやつと答え、中学生には果物で昔はご馳走だったと答え、大人にはフィリピンでの生産量が〇〇でうんぬんかんぬんみたいに。

 

やり取りを通じて、この教授の頭はどうなっているんだろうかと感動しました。

 

非常に穏やかな方ですが、物理学(例ならバナナ)に対する思いと、知識の深さ。
そして、知りたいという人に対して教えてあげたいという気持ちの強さ、熱量が正に化け物レベルでした。

上司

2人目は、昔の会社の上司です。

 

当時のお仕事は、お客様の工場現場に駐在していてお客様に自社の製品を色々と説明する機会が多かったのですが、その際にお客様へ説明する際の発信方法についての基本姿勢が正に化け物でした。

 

まず、お客様にどうしたら興味・関心を持ってもらえるか?どうしたら振り向いてもらえるか?こちらの意図がどうしたら伝わるかという点に対するこだわりにプロの中のプロの姿をみました。

 

大学時代の教授と同様に、この目的を達成することを突き止めると基礎的なことを全て自分で理解し、自在に組み立てることが出来るようになっていることが必要だということを学びました。

 

この記事を当時の上司がみたら、5億か所くらいはダメ出しをされそうです(笑)

最後に

大切な人には、自分のことを分かって欲しい、理解して欲しい。

説明しても理解できない人間は、勉強も仕事も出来なくてほんと困る。

 

こんな風に、つい話し手至上主義に陥ってしまうことはありませんか?

 

会話(コミュニケーション)は喧嘩両成敗(笑)
成立させるためには、双方の歩み寄りが不可欠です。

 

大切な人には、自分のことを分かって欲しい、理解して欲しい。

⇒ どうすれば、僕(わたし)の意図が相手に伝わるだろう?
⇒ 自分のモヤモヤした気持ちをもっと分かりやすく伝えられないだろうか?

 

説明しても理解できない人間は、勉強も仕事も出来なくてほんと困る。

⇒ 相手に理解をさせる為に発信する僕(わたし)に出来る工夫は他にないだろうか?
⇒ 関心や興味を持ってもらうために僕(わたし)に出来る事はないだろうか?

 

僕を含め、おそらく皆さまは、受信の能力は十分に育まれていると思いますので、発信する際の自分の意図するものを相手に優しく、丁寧に届けることを意識することで会話(コミュニケーション)というゲームの成功確率を高めることが出来ると思います。

  

皆さまはどんなふうに思われますか?

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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