精神疾患者の人生物語「②思春期 前編」

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皆さま、こんにちは。


3連休も早いもので、もう最終日ですがいかがお過ごしでしょうか?

 

世の中は、新型コロナウィルスの大流行で大変な事になっていますね💦
僕が通っている就労移行支援所も本来は17時までなのですが、時間短縮で16時までとなっております。長期戦になると思いますが、何とか世界のみんなで協力しあい、元の生活に戻れることを願っております。

 

さて、前回からぴよたま氏(精神疾患者)の自分史物語をお送りしております。
幼少期編は、下記記事をご覧ください。

 

www.piyotama.site

 

今回は、人格形成にもっとも大きな影響を与えるであろう「思春期(中学生)編」について、お話をさせて頂きます。

 

精神疾患に陥ることになった人間がどのようにこれまで生きてきたのか、そして、これからどのように生きようとしているのか。
僕の物語が、微力でもどこかで苦しむあなたの力となり、僕自身の勇気にもなることを願っております。

 

それでは、お付き合いの程よろしくお願いいたします。

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環境

2歳年上の姉と両親の4人暮らし。
バレーボール部に入部。その後、引退するまでは休日も返上で部活中心の生活
姉が、更に優秀となり何かと比べられるようになったと認識

エピソード

バレー部へ入部の経緯

前提として、充実した学生生活を送る為には、何かしらの部活に入ることが当たり前だという風潮があったので、入る部活を検討した。
小学校で習っていた、野球は不得意と思っていたので除外。
水泳も、練習が苦しかったこともあり好きになれなかったので除外。
柔道がやりたかったが、通う中学には柔道部がなかった。
姉がいる剣道にするかも悩んだが、球技がやりたかった。
何か新しいことをはじめれば、楽しく、且つ活躍することもできるかもしれないと思いバレーを選択。

バレー部の活動

上下関係が厳しい組織で、顧問の先生を頂点として先輩のいう事は絶対服従の環境。
自分の代は、特に成績優秀で同学年のチームメイトはその後の進路は、バレー推薦で進む人が殆どだった。
一方、自分の実力は明らかに周りと不釣り合いだった。(はじめは、補欠で部員が辞めていく中で、繰り上げでレギュラーとなった。)

 

顧問の指導を通じて、恐怖心を徹底的に植え付けられたと思う。
楽しくなんてなかったし、上手くなりたいなんて思ったことは一度もなかった。
いや、上手くなりたいと願っていたかもしれない。もうこれ以上、顧問から怒られない為に。

 

夏休みに3日連続、1日中の練習試合があった。
当時、他県に暮らす従妹の家族が僕の実家に遊びに来ていた。次の日に、従妹たちはディズニーランドに行くという夜に、親戚みんなでベランダから花火をみていた。
その時の僕は、明日の練習試合で顧問に罵られることになるが、従妹たちはディズニーランドで楽しい時間を過ごす。それが、同じ世界の出来事とは思えなかった。
子供心ながらに何という無情な仕打ちなんだろうと思った。その当時のベランダで花火をみた時の気持ちは今も強く印象に残っている。
翌日、練習試合のプレーでミスをして顧問に蹴り飛ばされて背中を壁にぶつけた時に、従妹はディズニーランドで楽しいひと時を過ごしていたことだろう。

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勉強が出来ないと認識した件

ある夜の日。布団で寝ていたところ、母が父に向って僕が勉強が出来ない件を相談している話し声が聞こえてきた。起きていったら、両親は話を中断して取り繕い、僕に笑顔を向けた。本気で心配されていることにショックを受け、自分はこのままではいけないのだと思うようになった。
非常に悲しかったが、当時は部活が大変で勉強どころではなかった。

 

成績表をもって帰ると、父が僕の成績表をみた後に「口直しに姉の成績表でもみるか」と冗談で言った。僕はいつもの調子でへらへらと笑ってはいたがとても悔しく、悲しかった。やはり自分は能力のない人間なのだと認識した。当時バレー活動でも劣等感を感じ、次第に自信を失っていった。

万引きで補導された件

そんな廃れたぴよたま少年は、駄菓子屋などでよく万引きするようになった。
それで、案の定、調子に乗り過ぎた挙句に補導をされた。
警察に連れていかれて、両親を呼び出されて解放された。父親が僕を見る目は軽蔑的だったな。
遅いかもしれないけど、悪いことをしたことをそこで学んだので、その後は一切万引きはやめた。(もう時効だよね)
なんで、やったのかもいまいち覚えていないが、周りにも流されていたし、万引きが人の迷惑になるという理解がなかったのだと思う。

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当時を振り返って思う事

何故、バレー部を辞めなかったのか?
勝ったら、次の大会へ進出することになるので引退の日が伸びる。
それが辛くて、引退試合で顧問にバレない様に僕は手を抜いた。
負けて試合が終わった時に心から安堵したのを覚えている。
僕は、一日だって早く部活を辞めたかった。
今ようやく、その気持ちに確信が持てる。

 

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当時のチームメイトたちへ
この記事は、君らも目にすることがあるかもね。
今更、気にしてなんかいないかもしれない。でも、ごめんな。
君らが全力で頑張っているのに、俺は不誠実な気持ちでコートに立っていたよ。そんな事実も長い年月を経て俺から自信を失わせているのかもね。当時の俺は本当に苦しくて堪らなくてそうするしかなかったんだ。
言い訳はしません。本当にごめんなさい。
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そんなに苦しくて辛かったのに一人で苦しみを抱えて、両親や誰にも相談が出来なかったのは何故なのか?

 

とことん、自分と向き合ってみて出た答えがある。
突き詰めると、両親への執着心と姉に対する劣等感が大きかったのだと言える。
姉と比べて、勉強が出来ないのに部活まで中途半端にやめたらますます両親にがっかりされると思った。


姉が偉大過ぎたので、部活を辞めると更に姉との間に差が開き、家に自分の居場所が無くなることが恐かった。
親にがっかりされる。愛想をつかされることの方が、日々の部活の恐怖よりも大きかったのだと思う。

 

また、顧問に反抗することが単純に恐かったということも大きい。僕は、自分よりも強い存在に力で押さえつけられた時は、それが間違えているものだと思っても、抵抗する力が自分には弱い。それは、小さい頃に身体の大きな人に逆らうことができず従順だった性格ともつながると思う。

 

姉への劣等感を跳ね返し、親に好かれなくても別に構わないと思えていたら、相談をするまでもなく自分の意志で部活もすっきりと辞めることが出来たと思う。

 

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両親への執着心と姉への劣等感を持つに至った経緯

 

僕の心の中には比較対象として優秀な姉が常に存在していた。
両親が姉を叱ったり、心配している姿を中学生の僕はみたことがなかった。
自分は姉や両親とは何かが違う。姉には能力がある。自分には無い。
そんな風に考えるようになった。深刻に悩んでいるという自覚はなかったが、ぼんやりとありのままの自分を肯定できなくなってしまった。

 

姉ほどとまではいかなくとも、現状の自分ではダメだと思った。
そして、自分と姉の間のどこかに両親の考える合格ラインがあるのだろうと考えた。
次第に、そこを目指すことがその後の僕の生きる指針・目標となっていった。

 

とにかく、僕の目からは両親と姉は優れていた。
姉も両親も人を能力で判断するような人間ではなく、ありのままの僕を認めて、大切にしてくれていたことは十分に理解していた。そういう点も含めて、両親と姉は偉大に映った。
そんな家族にやっぱり、もっと認められる人間になりたいという価値観が出来上がった。

 

姉について:

 

姉は徹底的に凄かった…
無言の努力を貫き、文武両道で優秀だけど性格は庶民的で鼻にかけるようなところが一切ない。リーダー気質ではないが控え目で協調性が高く僕には理想的にみえた。弟の僕に対してもバカにしたり差別する態度は一切みせず、余裕があるようにみえた。

 

両親について:


そして、両親は信仰対象。
僕自身の生活の悩み以外の彼ら独自の話(仕事や祖父母の介護など)の愚痴や悩みは聞いたこともない。
僕の前では苛立つ姿や、余裕のない態度の片鱗すらみせたことがなく、いつも穏やかな空気が流れていた。大人になるまで、彼ら自身も多くの悩みやトラブルを抱えているということを想像すらしなかった。

 

父親は、サラリーマンだったが、平日は日付が変わるまでに帰宅することはまずなかった。休日はキャッチボールしたり、プールに連れて行ってくれたりよく遊んでくれた。
母親は、家を居心地のいい場所にしてくれた。
姉は自室にいることが多かったが、僕はリビングが自分の部屋のようなもので、母といつもクダラナイ話をしていた。

 

父親は、親の苦労などもありのまま子供にみせることで子供にも強くなって欲しいと願っていたようだが、母親は子供に余計な苦労は掛けたくないと願っていたということを大人になって知った。

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最後に

ぴよたま氏「思春期 前編」をお送りしました。

 

僕は、部活で上からゴツンとやられた時に自分で如何なる対応もとる事ができませんでした。そして、自分の出来るもの以上を要求された時に、別に出来なくても構わないと思い自分で自分を支えることが出来なくなってしまいました。

 

簡単ではありませんが、これからの人生でこの根幹部分を少しでも変えることを目標にして行きたいと思っています。

 

次回は、思春期 後編をお送りいたします。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

 

続きの記事はコチラ👇
精神疾患者の人生物語「③思春期 後編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

 

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