ニーチェの思想をとっても分かりやすく解説【初心者向け】
こんにちは。
この記事では、「神は死んだ」の名言でお馴染みのニーチェの思想をもの凄く簡単に紹介します。(遂に哲学にも挑戦していきたいと思います。)
この記事は、以下のような方におススメです!!
・宗教や哲学に関して、興味を持ち始めた方
・自分軸を固めたいと思っている方
・ニーチェって名前は知ってるけど、どんな人・思想なのか簡単に知りたい方
それでは参りましょう。
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当時の西洋世界で信じられていた「神」とは?
ユダヤ教→キリスト教と一神教の宗教が各地に拡がっていきましたが、その背景を簡単に振り返えってみましょう。
①: ユダヤ教
古代ユダヤ人は激しい飢饉に襲われるわ、豊かな土地を求めて移住した先で奴隷として捕らえられるわ、散々な苦難に見舞われます。
そんな、彼らは、「耐えろ!われら民族は神に選ばれし民族だ。信仰していれば、いづれ神が敵対するものを滅ぼし、救ってくれるのだ」という教義を作り出しました。
旧約聖書によると、なぜ自分たちが神から愛されたかというと、自分たちは世界で最も貧しくて弱い民族であったからであると言われています。
ところが、待てど暮らせど一向に神は彼らのもとへやって来ません。
そうした中で、時代が進むにつれて彼らの信仰も次第に形を変えていかざるを得なくなっていきます…
それが、イエスの教えです。
②: キリスト教
と言います。はじめは敵をやっつけてくれる力強い神を信じていた人々も次第にこちらの道徳を受け入れるようになっていきます。
ユダヤ教・キリスト教の超初級編の記事に興味がある方は、コチラ↓
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ニーチェの「神」に対する捉え方
さぁ、みなが創り上げた神に対して、ニーチェ先生はクールにこう言い放つのです。
ルサンチマンとは、「恨み」とか「嫉妬」という意味です。
神への信仰を、健康的に生まれたものではなく、可哀想な弱者が現実を受け入れるのにはあまりに辛すぎるからという理由で生み出した歪んだ価値観だとバッサリいってしまうのです。
つまりは、神への信仰(弱者の歪んだ価値観)は、人間本来の生き方を否定しているという訳です。(ちなみに当然こんな反道徳的な思想は誰にも受け入れらず、天才ニーチェは大学を去り、哲学者として野に下り、最後は発狂してその生涯を閉じます。)
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世界の価値観が逆転した
当時の西洋世界の神を信仰する人々にはニーチェの指摘は全く受け入れられませんでしたが、彼は主張の正当性を示す為に、「善い悪い」の価値観について古代にまでさかのぼってその考察を展開しました。
古代において、善い人間とはどんな人間だと言われたら、
「闘争に強く、健康で、財力もある持てる人間」
と誰もが答えたに違いありません。ところが、(キリスト教的)新しい価値観が生まれた後では、これが逆転してしまったと彼は指摘したのです。
確かに、今、誰かにあなたの目標は何ですかと聞いた時に、
「金と権力が欲しいです」
と答えられたら、どういう気分がするでしょうか?なんて自分勝手なやつ。そんなものよりももっと大切なものがあるのに。分からないなんて可哀想(笑)
こんな風に思ったりしませんか?
でも、よくよく考えてみて下さい。この目標って何も悪いところはなくむしろ健康的ではないでしょうか?
だって、人生を楽しく、有意義なものにするためにはむしろ金と権力がないよりもあった方がいいに決まってますもん。
では、何故、人の役に立てる人間になりたいはOKで、金持ちになりたいはNGなのかというと、今を生きる僕らにも弱者のルサンチマンとしての価値観が沁みついているからではないでしょうか?
普通の人は金と権力を手に入れることなんて簡単には出来ない。出来ないという事実は悲しい。悔しい。受け入れられない。だから、それらの価値を落とし、そんなものは必要ないと目を背ける。
ニーチェがいう「神は死んだ」とは、このような事を主張している訳です。
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「神が死んだ」その後でどう生きるか?
そんなニーチェは、神の信仰の価値観が崩壊した後にどう生きるべきかについても考察をしています。
その答えとして、超人思想という哲学を示しています。
超人思想というのは、簡単に言うと自分を強く、大きくしたいという欲望から決して目を背けずに自分の理想に向かって目指し続けることが出来る生き方や考えです。
さらに、彼は自らの著書の中で、終末の時代に生きる「末人」と呼ばれる人々を描写しています。末人とは、何も目指さずに生きている人間を指します。
彼らは、健康と安全な寝床のみを求め、ただひたすら困難をさけて事なかれ主義で漂うように生きる。
近い将来、「神が死んだ世界」が訪れ、終末には「末人」が現れると彼は、予測したのです。
彼が言う、末人と現代を生きる私たちは何処か重なるところがあるような気もします。
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最後に
困難続きのユダヤ民族や、現代でも虐待を受けたり、まともな愛を注がれなかった弱者の方にとっては、ニーチェのいう程、簡単に割り切れるものではない思います。
「神は死んだ」と主張できる人は、実はもの凄く強い人ではないか?
そんな超人は、自分を信じて突き進めばよいと思います。
一方で、それでもなお、神しかすがるものが無い決定的な弱者もいるはずです。
その人々にとっては、神はまだ生きているのではないでしょうか?
神はまだまだ救いを与えてくれるのではないかと思います。
それが、ねじ曲がったルサンチマンと主張するのも構わない。
あくまで、ニーチェのような人とは価値観が異なるだけ。
さらに、神を信じ切れる人も実は相当強いと思う。決してお母さんが迎えに来てくれない子供だって、歪んでいると一部の人に言われたとしても、信じ切れていれば、その子供が幸せであり、僕にはその幸せの形を否定する気にはなれません。
さて、僕はどっちだろう?
社会的に恵まれた環境から一気にうつ病患者という弱者に転落をしたので、神の一つも信じたくなります。
でも、もともと信仰に厚い教育などを受けて育った訳ではないので、感覚的なもので理屈で語れぬものはやはり、どこか信じ切れません。
ニーチェの超人思想と一神教の間で考えさせられるが、未だ答えは出ません。
ただし、一つの考えに固執せず、その時に楽になる考えでハイブリッドでいきたいと今は思います。
なんか軸が固まっていないと言われそうですが(笑)
軸を持たないという軸で生きていこうかなと(笑)
拘り過ぎて色々と苦労をしたような気がしますので。
皆さまもご自身で哲学してみては如何でしょうか?
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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