宗教お勉強 ~イスラムの考え方~
みなさま、こんにちは。
今回は、日本人にとっては馴染みの薄いイスラム教について、分かりやすーく、簡単にお勉強をしていきたいと思います。
この記事は、以下のような方におススメの記事デス!!
それでは、よろしくお願いいたします。
- 【はじめに】これからはイスラムが世界のスタンダードになるかもよ
- イスラームが信じている神「アッラー」とは?
- 兄貴分であるユダヤ教、キリスト教のことを、どう捉えているの?
- イスラムの信仰、特徴とは?
- イスラームの宗派「スンニ派」と「シーア派」について
- スンニ派の考えるリーダー(カリフ)は独裁者ではない!
- イスラムの世界には「進歩」はない?
- お金は偶像崇拝!?
- 最後に
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【はじめに】これからはイスラムが世界のスタンダードになるかもよ
僕が、世の中の事に無関心だというのもありますが、皆さんもイスラムって馴染みも薄いし、あんま興味なくないですか?これにはちゃんと理由があるんですよ。
というのも、日本国内のイスラム信徒(ムスリム)は、外国人を含めても0.1%程度。
めっちゃマイナーですね。でも、これって世界的にみると、もの凄く特殊なんです。
世界のイスラーム人口をみてみましょう。
イスラームと聞くと、中東のイメージがありますが、一番人口が多いのはアジアのインドネシアなんですね。ついで、インド、パキスタンが続き、アフリカのナイジェリアエ、エジプトと続き、ようやく中東のイランが入ってきます。
さて、ヨーロッパでは、キリスト教の衰退の気配がみられ、イスラームの移民が増加することが真剣な議論になっていきています。
また、イスラーム人口は増加の一途をたどり、2070年にキリスト教人口に追いつき、2100年にはイスラームが最大勢力になるとの予測がされています。
今後、日本でも人口減のあおりを受けて、インドネシアなどの東南アジアからイスラームの移民を大量に受け入れる動きになることになるとも言われています。
そんなワケで、これからの動きやグローバルな視点をもつ為には、僕たち日本人にとってもイスラームに関する理解は避けて通れない重要なものみたいです。
イスラームが信じている神「アッラー」とは?
イスラームでは神について、
全て同じ神(唯一神)と捉えられています。
つまり、ムハンマドが存在する以前から、イスラーム教は存在していた(ユダヤ教、キリスト教というまた別の形態で)と考えられている訳ですね。
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兄貴分であるユダヤ教、キリスト教のことを、どう捉えているの?
イスラーム教の立場としては、どちらの兄貴分宗教も後世の人間が創り上げたものだと捉えられています。ユダヤ教の場合は、モーセの律法を、キリスト教の場合はイエスの教えを後の世代の信者たちがそれぞれの解釈で創り上げたものだと。
そして、同じ神を信仰する兄弟ではあったが、結局のところ神のメッセージを完璧に把握・理解できなかった点で惜しいねという理解です。
確かに、新約聖書がイエスの死後、数百年を経っても決定的なテキストが存在していなかったのに対し、コーランの原本はムハンマドの死後20年後の、まだ直弟子たちが生存している頃に出来がっております。このことも、神のメッセージがより正確に記録できたと考えらえる根拠とされています。
ちなみに、お兄ちゃんたち(ユダヤ教、キリスト教)的には、このイスラーム教ちゃんの主張に納得したのであれば、全てイスラームに帰一し対立はなくなっていた訳ですが、歴史はそのようにはなりませんでしたね。
イスラムの信仰、特徴とは?
メッカの大商人の家に生まれたムハンマドは40歳の時にでアッラーの啓示を受け、布教を開始します。ちなみにアッラーの最初の啓示ではムハンマドは「詠め」と命じられます。コーランとは、「声に出して読むもの」と言われています。
また、イスラムとはアラビア語で「神に帰依すること」を意味しています。
イスラム教では神のメッセージをまとめた「コーラン」を絶対的なものと捉え、その他のものを信仰する動きとなりうる偶像崇拝が禁止されています。
また、コーランを通じて、個人の人々が直接アッラーと深く繋がることが本来の姿であるとし、アッラーの前には何人たるも平等であるという価値観があります。
ちなみに、信仰の基礎には、預言者ムハンマドへの個人的な人格的信頼があります。
アッラーの啓示の中には自分の目で確かめようもないものが沢山ありました。
しかし、それらを強く信じることができたのは、預言者ムハンマドが決して嘘をつかない人だったからです。彼のあだ名は「アミーン(正直者)」でした。
メッカの多神教達がイスラームを受け入れられず、イスラーム教徒を迫害していた時もムハンマド個人への信用は揺るがず、大切な預け物は彼に託されたとまで言われています。
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イスラームの宗派「スンニ派」と「シーア派」について
続いて、イスラム教の基本ということで、イスラムの2大宗派である「スンニ派」と「シーア派」の2大宗派について簡単に押さえておこう!
イスラム教の宗派が分裂した背景には、リーダーをめぐる対立があります。
それぞれの宗派のリーダーにふさわしい条件の考え方は以下の通りです。
現在は、スンニ派が85%、シーア派が15%程度です。シーア派がメインの国はイランとイラクです。
イスラム教は信仰の対象となるのはコーランを通じたアッラーのみとお伝えしましたが、シーア派ではコーラン以外に「人間のリーダー」を崇拝する傾向があります。
例えば、「イマーム」と呼ばれるシーア派のリーダー的存在の人のお墓を聖地として信者が定期的に巡礼します。
また、偶像崇拝を徹底的に禁止しているスンニ派に対して、シーア派のイランなどではイスラム教指導者のハメネイさんや先代のホメイニーさんなどの写真が飾られ、崇拝の対象とされています。シーア派は厳密なイスラム教と比べると少し緩いイメージでしょうか。
イラン、イラクに多いシーア派が厳格なイスラム教よりも少し緩めな方だっていうのは僕がイメージしていたのと逆でした。
皆さんはどうですか?
一方で、スンニ派もカリフと呼ばれるリーダーの存在を認める考えがありますが、カリフは信仰対象とはなりません。こちらは、ただの人です。
信仰対象はあくまでもムハンマドの「コーラン」を拠り所としたアッラーのみです。
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スンニ派の考えるリーダー(カリフ)は独裁者ではない!
僕たちが、リーダーと聞くとどうしても独裁者みたいな人をイメージしませんか?
これは、西欧的な考えがベースにあるんです!!
君主制や独裁制だけじゃなくて、民主制であっても、人間の支配という考え方がベースになります。
民主制というのも、多数の人間による支配ということですもんね。
法律だって、理念的には国民が決めてつくることになっています。
ところが、イスラム教の場合「法」は人間がつくるのではなく、「アッラーの啓示」であるコーランです。純然たる法の支配になります。
つまり、イスラムの世界では、個人と神(コーラン)しかないということです。
ただし、個々人が自分の判断で法に従っているだけでは不具合が出てくることもあります。その際に調整する役割が必要になります。そこでカリフがその調整をする役割を担うんです。
ただし、カリフの権限や役割などはかなり制限されており、必要最低限のものです。
例えば、カリフは教育にもタッチしません。教育は社会や共同体任せにします。
現代の教育のベースには、キリスト教文明があります。
キリスト教の懺悔は、人間の内面を教会の管理下に置くのが目的とされました。
そこから、近代になると今度は国家が国民の精神状態を管理する学校教育に替わります。そこでは、道徳などの「心の教育」が行われます。
イスラム教では、人間の心の内面を知ることが許されるのは神のみであり、ムスリムであろうと異教徒であろうと心の教育は絶対に行いません。各個人がコーランと向き合い、心を磨くんです。
こうしてみると、本当にイスラムは個人とコーラン(神)だけの世界であることが分かります。
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イスラムの世界には「進歩」はない?
イスラム教徒は、コーランに従い一日に何度も礼拝したり、巡礼月には巡礼にいきます。また、断食月が来れば断食をします。そんな生活を淡々と延々と続けていくんです。そこには、生活が進歩するという発想そのものがありません。
でも、今は当たり前となっている世の中が進歩するという考え方は、割と近代に生まれたものみたいです。それまでは、黄金時代→銀の時代→青銅の時代→鉄の時代。
そして、仏教でも末法思想というものがありますもんね。
ところが、近代の科学技術の発展によって、西洋世界では退歩思想から進歩思想へと転換されていきました。
一方、イスラムの世界では大切なのは、ムハンマドとの距離が時間的にも空間的にも大事にされています。
その為、時間の距離が離れるにつれて、緩やかに悪い方へ向かうという考えがあります。そして、行きつく先は神の待つ天国という訳です。
人間の個人としての成長はムハンマドとの距離で測られます。
コーランを正しく理解する為に精進することが、人間的な成長につながると信じられています。
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お金は偶像崇拝!?
イスラムでは、不換紙幣は認められていません。
不換紙幣とは、正貨たる金貨や銀貨との兌換が保証されていない政府の信用のみで流通する紙幣のことを言います。
この不換紙幣は国家がただの紙切れに価値を与えていますが、神ではなく人間が創り上げた国家が価値を創造することがそもそも反イスラム的だと捉えられます。
実体のない数字という記号を崇めることは偶像崇拝に他ならないと考えられます。
記号が事物との対応を失い、それだけが独り歩きして人々を支配するようになることが偶像崇拝そのものでアッラーの教えを惑わす問題と考えられます。
イスラムでは記号と事物と正しく対応すべきだと考えられているため、金銀本位制のみが認められます。金銀本位制では、価値のある金や銀を正貨とされます。
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最後に
いかがでしたか?
イスラムのとてもユニークな考え方についてお伝えして参りました。
国家というシステムなんて必要ない。最低限の調整役としてカリフ一人をおくだけで、あとは世界中の個人がそれぞれコーランを拠り所に神と真摯に向き合う。
それが、イスラム教の考える正しい世界。今を生きる僕たちの価値観とはもの凄くかけ離れたものであることが分かりました。
すでに敷かれた資本主義システムという奇形な怪物の中で、平穏に過ごすにはどうすればよいか。または、少しでも経済的に豊かに充実した人生を送る為にはどうすればいいのか。そんなこと以外を考える発想すら持ってませんでした。イスラム教の信徒、ムスリムの人々が目指す志やエネルギーには、心を動かされました。
彼らが、神を信じているエネルギーは果たして、ニーチェの言うルサンチマンなのか?
善く生きるというのはどういうことか。価値観が異なる人々と共存共栄する道はないのか?僕なんかには、まだまだ答えは出そうにありません。
今回の記事で皆さまが何か新しい考え・価値観を得るきっかけとなってくれたら嬉しいです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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