語学力(TOEICスコア)よりもコミュニケーションで大切なもの

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さて、今回は、ぴよたま氏がその昔に働いていた頃に地球の裏側に出張に行った時のお話をさせて頂きます。


言葉も国も文化も全く何も接点がなかったペルー人とアッという間に打ち解けることができた体験です。

 

この経験で、僕は人との付き合いに欠かせないコミュニケーションに対する考え方が少し変わりました。

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本当にコミュニケーションって難しくないですか?

・職場での仕事に関する打ち合わせ
・お友達との何気ないやり取り
・恋人や夫婦間の価値観に関わる深い、お話などなど。

 

良好な人間関係というものは、お互いのやり取り(コミュケーション)からはじまります。

 

そこで、大切なものって一体何なのでしょうかね?

 

言葉が通じることはもちろんのこと、共通の話題がなければやはり、仲良くなることは厳しいですか? 

 

いえいえ^^; 

 

どうも、そんなこともないみたいと思う体験を僕は南米の地ですることになりました。
そんなコミュニケーションの本質について、どうぞ、ご参考にしてみてください。

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コミュニケーションでは何が伝わる?

よく聞く話ですが、人が人とやりとりをする時って話している内容よりも、話し手の表情や、声のトーンや抑揚などを敏感に察知しているんですよね。

 

電話で話す時などですら、相手の表情がみえませんが、声のトーンや話す間や話し方のクセなどが敏感にキャッチされます。

 

実は、コミュニケーションで言葉の果たす役割の割合は、実に7%です。

 

”とても伝えたがるけれども、言葉は心を超えない”んですね 
【Say Yes by Chage&Aska (名言)】

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英語も拙い僕が南米まで出張へ

さてさて、その昔に僕はお仕事で南米に出張にいきました。


南米市場のお客さんの元へ訪問したのですが、その際に、現場から僕に同行してくれるペルーの方と合流しました。

 

ペルーは母国語がスペイン語ですが、優秀な彼は英語が堪能です。
ただし、ぴよたま氏の英語はまだまだ拙い…

 

出張以前に、お互いに日本⇔ペルー間でメールなどのやり取りはしていたものの、今回が初対面でもあり、上手く馴染めるのか小心者のぴよたま氏は不安でした。

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そんな2人に奇跡が!?

さて、そんななんの接点もない2人に奇跡が起こるのです。

 

舞台は、とある、こきたない作業現場のプレハブ内。
2人で、エクセルのデータとにらめっこをしている時のことでした。

 

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データが膨大でしたが、僕はグラフを含む全データを一度に閲覧したいと思い、画面を50%でみていました。

 

ところが、ペルーの彼は、小さいから画面を拡大しようと提案。
僕は、確かに小さくて見づらいけど、一緒にグラフも見ながら考えたいと思っていました。

 

でも、それが彼に上手く英語で伝えられません。
痺れをきらしたペルー君は僕からマウスを奪い、画面を拡大するのです。

 

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グラフも一緒にみないと分からなくないかな~と思いながらも彼を見守る僕。


すると、5秒位の沈黙の後に、彼はおもむろに画面を100%から50%に戻すじゃありませんか!!
その時、僕は思いました。

 

あ!この人、さっき僕が50%でみたいって言っていたのを強引に100%にしておきながら、しれっと僕の目の前で50%に戻した!!
どんなリアクションをするのだろう...と僕は彼を見守りました。

 

 

 

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彼は大爆笑しました。。
卑屈になることもなく、とても愛嬌のある屈託のない笑顔でした。
僕も爆笑しました。


その時、僕はこれまでの日本で仕事をした時に感じたことのない安堵感を感じることができました。

 

お伝えしたい雰囲気は伝わるでしょうか?

 

僕はその時、なんだか、彼と仲良く仕事ができると確信できたんです。
そして、何となくですが、彼の仕事に対する誠実さのようなものすら感じることが出来たのです。

 

その予感は、その後の彼とのやり取りでも明らかになりました。

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その後の仕事は、大変なこともありましたが何とかやりたいことを無事に完了して、お客さんにも成果を上手く説明、アピールすることができました。

 

時間に追われて厳しい環境の時にでも、彼はユーモアを忘れずに接してくれて、厳しい中にも楽しく仕事をすることが出来ました。

 

結局、僕の拙い語学力のハードルは全く気になりませんでした。
いざとなったら、ボディーランゲージで伝えたいことは全て伝えることが出来ました。
いざとなったら、紙に絵を書いたりしながら言いたいことを伝えました。(ぴよたま氏は絵心は皆無ですが。)


ペルーの彼も、僕の言いたいことを理解しようと忍耐強く付き合ってくれました。

一般的な日本社会でのコミュニケーションを考えてみる

僕は、思いました。
日本で働いていたときには、言葉の壁はないにも関わらず、ペルーのスタッフと交わせたような、こんなに質の高いコミュニケーションをとる事は誰ともできなかったなぁと。


一体なんでなんだろう。
日本語で細かい要望を正確に伝えたり、依頼や指示をされた際にも分からない点は確認することは出来るのに。
肝心な、安堵感を得ることが出来ないんです。

 

社会的な立場や、体裁を整えることに重きが置かれ、思ったことを発信したり行動すること自体が著しく制限されるように思うんです。

 

妙な競争意識(?)や、とにかく争いを避ける為の保守的な配慮(事なかれ主義)が至る所で蔓延している気がするんです。

 

今回の例では、お互いに異文化で接点も薄いからこそ余計なしがらみがなかっただけかもしれません。

 

しかし、コミュニケーションの本質は言語(ツール)などの能力ではなく、余計なしがらみを意識せずに人間と人間として向き合う姿勢(気持ち)が大切なんだろうなと思いました。

 

決して日本社会が悪いという話にしたいわけではありません。
よいコミュニケーションをとる為には、自分の常識を相手に求めないこと。

 

そして、勇気をもって相手と正面から向き合い、相手に安堵感を与える為に何が出来るのかを考える心意気が大切なのだと思いました。

 

コミュニケーションに関する別記事もございます。
興味のある方は、こちらも合わせてご覧ください。

www.piyotama.site

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最後に

正直言って、結局、何にも分かっちゃいないのかもと思います。


コミュニケーションは本当に難しいです。
でも、せっかく人として生きているのだから、独りぼっちではなく、誰かと交信(コミュニケーション)を取りたいと思うワケです。

 

僕にとっては、生きていて、幸せや苦しみを感じるのは全て、この人との交信に依るものだと思っています。

 

なにやら、難しいテーマに最後まで付き合って頂き、ありがとうございました。

 

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