精神疾患者の人生物語「①幼少期編」
お久しぶりの投稿です。
プロフィールでも記載の通り、僕は現在38歳で精神疾患を抱えています。
具体的には、33~34歳位の頃から主に仕事のストレスで体調を崩し、休職~退職を経て、現在は就労移行支援所に通所をしながら社会復帰を目指しております。
僕は、どれだけ周りの人に理解を求めても決して満たされない孤独や苦しみがあることについて、精神疾患で苦しむ経験を通じて骨身に染みて知りました。
正直、こんな苦しみについてなど知らないで生きていければ、その方が良かったいう思いも強くあります。もう越せないと本気で思った夜も一日、二日ではありません。
さて、僕の体験を語ることが誰かの役に立つかどうかについてなど全く分かりません。むしろ、勝手な日記ではなく、ネットに乗せて発信するという行動の中には、自分を理解して欲しいという思いや、誰かにかまって欲しいという思いが強くあるんだと思います。
そんなワケで、折角ご覧になって下さった方で、もしも不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありません。僕には、少なくても意図的にあなたを傷つけたり非難したりする意図は全くありません。
これから何回かにわたって、僕自身の人生についてお話させて頂きたいと思います。
精神疾患に陥ることになった人間がどのようにこれまで生きてきたのか、そして、これからどのように生きようとしているのか。
僕の物語が、微力でもどこかで苦しむあなたの力となり、僕自身の勇気にもなることを願っております。
今回は第一回目で、幼少期編となります。
それでは、よろしくお願いいたします。
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幼稚園の頃
環境
2歳年上の姉と、両親の4人暮らし。
近所に遊ぶ友達が沢山いて、いつも友達と外で遊ぶ日々。
エピソード
嫌な記憶はほとんどなし。友達と遊んでいる時も、家族と過ごしている時も楽しかった。大きな友人には逆らえず、立ち向かったりせず従順だった気がする。
父と祖父母の実家への帰省中の車内で算数の問題を話して褒められた記憶あり。姉とは、帰省中の車内で些細なことで喧嘩をして泣きべそかいた記憶あり。
当時を振り返って思う事
そもそも、あまり記憶がない。。
でも、ほとんど悩みはなくのんびりと過ごしていた。強いて言えば、身体が小さくもあり、自分は腕力が弱いのかもと認識していたかもしれない。
無邪気な性格であり、周りの友人を笑わせたり、大人からもとても可愛がられた。
両親は、自分の味方。いつでも困った時は助けてくれる存在。
友人は、楽しい時間を過ごせる大切な存在。
幼稚園の先生などの周りの大人は、自分を可愛がってくれて、いろいろと教えてくれる優しく頼れる存在。
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小学生の頃
環境
2歳年上の姉と両親と4人暮らし。
周りに遊ぶ友人が沢山いた。
習い事: 水泳(2年~6年)、野球(4年~6年)、柔道(5年、6年)
柔道だけは、自分からやりたいと両親に頼んだ。武道に興味があった。強さに憧れがあった。
姉が非常に優秀で勉強ができたが、自分は中の中~下くらいの成績だった。
エピソード
社会の副教材を捨ててしまった件
3年生~6年生の期間に使用する社会の副教材を使用しないと思って4年生の時くらいに捨ててしまった。5年生の時に恐い先生が担任となり、使用するから持ってくるようにと言われ、両親に相談。
正直に担任に捨てたことを伝えろと言われたが、怒られるのがこわくて、2,3日言えないでいた。最終的には、母親に伝えられないことを怒られて、「今日、言えなかったら家に入れない」と言われ、追い込まれてものすごくこわかった記憶がある。
逃げ場を失い、担任に捨てたことを伝えると、なんてことはなく、「分かった、何とかするわ。」と言われただけだった。
その際の、記憶は逆にあまりない。それまでの恐かった記憶がとても強烈に残っている。
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柔道ではじめての試合で両親の前で、2秒くらいで負けた
自分ではじめたいと言って始めた柔道だったが、はじめての試合で大きな子と試合をして、一瞬で負けた。両親の前で無様に負けてしまい、とても情けない気持ちになり恥ずかしかった。(小5位)
習っていた水泳教室がハードだった件
毎週水曜日にある水泳教室のレッスンが厳しくて辛かった。ハードな練習を強いられたときは、トイレに行くタイミングを一番練習がハードなメニューのタイミングに合わせようとする知恵を振り絞っていた。終わった後は、一週間生き延びたと安堵していた。
野球で補欠だったこと
野球を始めたのは4年生からで他の子よりも遅かったこともあるが、レギュラーになれず補欠だった。野球が上手にできたという手ごたえも感じられず、あまり得意な意識がなく楽しくもなかった。
休日に遊ぶ相手がいなくなることがあったから、やっていた程度のものだった。運動が得意ではないのではないかという意識を持った。
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当時を振り返って思う事
典型的に平均的な環境で育った小学校時代だったと思う。心の底で抱え込む悩みがある自覚は全くなく、毎日楽しく、穏やかに、元気に生活をしていたと思う。
運動も、勉強をできる方ではなかったが、それに対して自分自身は悲観はしておらず、そのままの自分を受け入れることができていたと思う。
ひょうきんでムードメーカー的な存在でもあり、周囲を笑わせたり、盛り上げることが好きだった。
勉強ができる姉と優しくて賢い母親、バリバリ働く父親という自分の家族が特別だと考え、自慢に思っていた。
両親に対しては、困った時に助けてくれる力強い味方。一方で、当時の僕の事は認めていなかった(両親は自分の将来を心配していた)と思う。
いずれ、できるようになるから心配ないと思われているのが負担となり、本当に将来できるようになるのか当時漠然とした不安を抱えていた。
友人は、楽しい時間を過ごせる大切な存在だった。
小学校の教師については、特に仲が良かったわけでもなく、親密な感情を抱くことはなかったが、逆にストレスになることもそれほどなかった。
自分を認めてくれたという手ごたえは教師から得られなかったので、それについては面白くはなかった。
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最後に
さて、ぴよたま史「幼少期編」をお送りしてきました。
幼少期は、非常に一般的な環境で両親や、仲の良い友人に囲まれて伸び伸びと穏やかに生活をしていったと思います。自分のことを周りの人は大切にしてくれたと思いますし、愛情を沢山受けて自分の存在を肯定出来ていた時期だ思います。
強いて言えば、勉強も運動も自分には取り柄がないなーっていう自覚がありました。
陽気でおちゃらけてはいましたが、それはそれで、やはり悔しくて悲しかったんだと思います。
心理学についてはとんと素人ですが、人格形成においては、この幼少期とこの次の思春期がとっても大きな意味を持つ時期のようですね。
次回は、結構大きく今の自分の価値観を創ることになった思春期(中学生)の頃について、お話をさせて頂きたいと思います。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
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