精神疾患者の人生物語「⑦社会人編(3社目)」

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みなさま、こんにちは。

 

さて、これまでに複数回に送ってお届けしてまいりました、ぴよたま氏の人生物語ですが、今回は社会人3社目を振っていきたいと思います。

 

遂にココまで来てしまったか。。
ココが最大の山場です!!!

 

それまでに騙し騙し凌いできた思いやストレスが爆発して、遂に、会社にいけなくなる時期です💦
というか、ここから生きる事にすら疑問を持つようになり、常に苦悩する暗黒の日々へと突入します。

 

正直、当時のことなど全て忘れてしまいたいというのが本音です。

 

ですが、唇をかみしめながら、一切目を逸らさずに一番辛かった時の事を真正面からみつめてみたいと思います。

 

全ては、生きる為です。

 

どんな形であれ、自分らしく、くだらないことでバカみたいに笑い飛ばせる人生を送ることが僕の目標です。

では、参ります。
最後までお付き合いくださいませ。

 

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過去の記事はコチラ!

精神疾患者の人生物語「①幼少期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「②思春期 前編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「③思春期 後編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「④青年期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「⑤社会人編(1社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「⑥社会人編(2社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

環境

会社の社宅に入った。
転職した直後に長男誕生。
在籍中で退職間近の休職中に実家の近くの家をローン購入。
この時期に、長女誕生

入社決めた理由

転職時に、業務負荷がもっと小さそうな他の企業からも内定を得ていた。
但し、社会的な知名度や大舞台で働きたいという憧れが強くこの会社に入社を決めた。
相変わらず、新入社員が憧れるような理由だ。やっぱり、相変わらず劣等感が意志決定の際には顔を出していた。

会社の特徴

この会社はとにかくデカかった。従業員数は6桁だった。
会社員というのは、全てが駒に過ぎずいくらでも変わりがいるという事は世の中の常識。

 

しかし、僕は企業理念もあってないような外資企業出身なのにも関わらず、もの凄く密度の濃い人間関係(上司とその右腕の同僚)の中で育ってきた。
ドライ、ウェットで言うところの超ウェットな環境だ。
(外資企業編は、コチラをご参照。)

精神疾患者の人生物語「⑥社会人編(2社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

 

何も、この巨大な日系大企業が悪いわけではないが、僕との相性は悪かった。
僕は、このモンスター組織との付き合いを全く分かっておらず、必要以上に自分を犠牲にしてしまっていた。
そして、自分と同じような思いを、会社が自分に対しても持ってくれることを求めてしまっていた。

 

人間はひとりひとり置かれている状況も違えば価値観も違う。
しかし、組織が大きくなればなるほど、社員一人一人と向き合うことが出来なくなる。結果として、大きな個性は組織を乱す邪魔な存在となり、淘汰されていく。
その為、この会社で働く人間はみな一律で個性を感じる事がなく分厚い仮面を被っていると感じた。僕にとっては、それがとても恐かった。

 

一方、この会社は劣等感を持つ自分にとっては、一番大切に守りたいと思っていた名声や実績をもった存在で教祖のような存在だった。
僕は自分の存在を大きくみせたい余り、苦しみながらも会社の奴隷となっていった。

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超大企業という組織

会社は徹底していた。
いくつも例はあるが、一例をあげるとこの会社では管理職になるとその人間に「番号」を付与した。そして、その人を周りは名前ではなく番号で呼んだ。

 

管理職となった人は、その会社の中のある部門の機能(柱)とみなされた。

 

会社にとっては、佐藤さんでも田中さんでもない。9693などと言う数字になった。

「9693 いつもお世話になっています。」

「9693~、8340からお電話ですよ~」

等という会話が当たり前の会社であった。

 

ひどく衝撃を受けながらも、なんとか馴染もうと必死に努力をしたが、そもそも組織は伝統と和を何よりも重視する。
よそ者の空気をまとったものには徹底的に冷たかった。
入社した時から、僕の過去の経験や環境、僕自身のパーソナリティ等に興味を持つ人は1人もいなかった。

 

そんな周りに馴染めず苦悩の日々を過ごしていたが、1人だけ同世代の友達ができた。
その人は、この会社に新卒からいるにも関わらず、他の人とは全く違ったタイプの人だった。どれだけ世話になったか分からない。
この記事は、自分の苦悩に向きあうものなので詳しくは書かないが、いつか記事にしてみようと思う。

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復職を巡ってのトラブルの件

ストレスで休職をしていたが、体調が改善して復職が可能となったので、必要な書類を全て会社に送付した。
恐らく同じ部署に戻ると事になるが、復職先の部署を調整して連絡するから待っていてと人事部に言われた。

 

人事には、体調がせっかく回復してきたのに、復職先が決まらない不安定な毎日を送るのが精神的に辛い。是非とも、はやく復職させて欲しい。
少なくとも、いつまでに復職が出来るのか期限を知りたいと問い合わせた。

 

人事課長からは、

「復職先は必死になって検討している。でも、相性がある。結婚みたいなものだから。僕らの都合だけでは決められない。いつまでとは約束できない。」

と言われて、結局3か月以上何も進捗がないままに放置された。

 

それで、第3者の意見が聞きたくなり、労働基準監督署に父と相談に行った。
労働基準監督署がそれは明らかにオカシイということで動いてくれた。

 

すると、今まで全く相手にしてもらえなかった会社からあっという間に復職日が決定したという連絡があった。

組織との付き合い方

僕は、苦しんでいる自分の思いを全く相手にしてもらえていないという事実がとても悲しく、本当に悔しかった。
課長では、話にならないから部長にも合わせて欲しいと頼んで部長とも話をした。
しかし、どちらも同じだった。

 

会社の人は、僕を人間としてはみてくれていなかった。
僕がどんなに苦悩や思いを訴えても、ひたすら無視して笑みを浮かべているだけだった。

 

僕は、彼らのことも不憫でならなかった。
僕の気持ちが分からないのだとしたら、既に麻痺をしてしまっているわけだし、分かっているにもかかわらず、会社としての立場で無視しているのならば、あまりにも不誠実な自分を嫌にならないのか。

 

目の前で話している人は人間ではなく、番号だった。

 

結局、この会社にとっては、僕の気持ちなどは知るところではなく、僕には利益を積み上げる精巧な機械としての機能を期待していた。

 

そんなことは、社会では当然なのかもしれない。
しかし、少なくとも多少のコンプレックスという不純な思いがあったにせよ、病気になるほどの気持ちを込めて、仕事に真摯に向き合ってきたのに。
自分は一体何のために、身体が壊れてしまったのだろうという事を思うと悔しくて仕方なかった。

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最後に

まだ、上手く消化できていないのかもしれません。
当時の記憶がよみがえり、激しい頭痛ナウです💦

 

でも、少しずつ自分が分かってきました。(*´Д`)ハァハァ

  • とにかく、劣等感やコンプレックスで自分を大きくみせたがる
  • それが、上手くいかないのではないかといつも不安で苦しい
  • 組織の中で生きることが下手くそ。程よい距離感をみつけることが苦手

僕は、世の中を便利にしたり利益を追求することには興味がないのかもしれません。
自分の事を凄い!!と褒めて貰う事にしか興味がないのだと思います。


あとは、少ない人間でも、自分が関わる人の気持ちや思いを大切にしたい。深い付き合い共感したいという価値観が自分の軸なのかもしれません。

 

こんな価値観に沿うお仕事って世の中にありますかね?

 

じっくりと考えてみたいと思います。

 

疲れたので、今日はこれくらいにしてあとはリラックスしたいと思います。

 

このシリーズはもう少しつづきます。
またお会いしましょう。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

つづきはコチラ👇
精神疾患者の人生物語「⑧社会人編(4社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革


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