精神疾患者の人生物語「⑧社会人編(4社目)」
みなさま、こんにちは。
この週末は、新型コロナの影響で首都圏では海外自粛要請が出されていますが、これからの僕らの生活は一体どうなってしまうのでしょうかね?
マスコミや国が悪いとか、中国が悪いとか何かを非難するのではなく、世界が協力して問題に取り組むことを願っております。
さて、長らく自分史をお送りさせていただきましたが、今回は、最後の会社員生活について振り返っていきたいと思います。
最後の会社は、なんと3か月で退職をすることになってしまいました…
今思うと、以前に休職期間満了で会社を追い出された後にまだ体調が回復しない状況で焦って就職をしてしまったことが要因だったと思います
過去に休職してからの期間に関する記事を書きましたが、そこで言うところの「Phase2:悔しい・見返したい期」がこの時期にあたります。
それでは、お付き合いの程、宜しくお願いいたします。
自分史シリーズの過去記事はコチラ!
精神疾患者の人生物語「①幼少期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「②思春期 前編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「③思春期 後編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「④青年期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「⑤社会人編(1社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「⑥社会人編(2社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
精神疾患者の人生物語「⑦社会人編(3社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
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環境
休職期間満了で、以前の会社を追い出される。
体調が良好だったことをまり、転職活動を開始。
その後、1か月程度で次の職場がみつかり勤務を開始。
(メーカーのグローバルマーケティング部)
3か月程度で体調悪化の為、退職。
転職活動
前職を休職期間満了を理由に追い出されてしまう形だったので、なんとか同じ規模の仕事が出来る環境を求めた。
大手を沢山受けたが、年齢も35歳を回っていたので中々上手くいかなかったが東証一部の大手企業に何とか引っ掛かった。
給与も若干UPするし、所属部署のグローバルマーケティング部は会社の経営層とも密に関われる環境だったので、入社を決意した。
ちなみに、給与は落ちるが非常にストレスが低そうな中規模の商社からも内定を得ていた。社長と面接をした際に、残業は全くさせない方針だから、残業代を稼ぐことは難しいよと言われたほどだった。
それでも、僕は前職で自分を苦しめた人を見返したかったし、お世話になった人達に良い恰好をしたいという思いから、中小企業を蹴ってまたもや企業の大きさや給与で職場を選択した。
過去の記事をご覧の方はご理解いただけるが、僕の行動指針には必ず、コンプレックスのバイアスがかかってしまうのだ。
結局、たったの3か月で辞めることになってしまったが、今にして思えば非常に良い会社だったと思う。
完全に僕の体調が万全でない事が早期退職に至る原因だった。
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症状を開示しないクローズ就労
クローズ就労とは、企業に対して障害があることを積極的に開示せずに就職することをいう。(これに対して、オープン就労は企業に合理的配慮を求める為に障害があることを開示して就職することをいいます。)
僕は、特に会社に特別扱いしてもらいたくないし、その必要もないという考えから、クローズ就労だった。
しかし、嘘はついていないものの何だか後ろめたい気持ちを抱え、それがストレスとなってしまった。
そして、ありのままの姿以上に元気な姿をみせねばならないと気負いすぎて、疲弊してしまった。また、前職の企業が大手企業だったことから周りの期待がもの凄く大きなものとなり、プレッシャーとなってしまった。
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謙虚さを忘れ、大きな勘違いをしていた
前職では、受け身の姿勢で声の大きな攻撃的な人をかえってイライラさせてしまい、不必要な業務を任されてしまったり、良いように利用をされてしまった点があった。
その反省を踏まえ、僕は正論と思えることは遠慮せずにはっきりと主張しなければならないと考えていた。
それ自体には問題はなかったが、当時の僕は自分が苦労してきたバックボーンを周りは一切知らない。自分のような苦労や様々なことを体験してきた人はココにはいないという大きな自惚れ心があった。
その為、まだ入社して日が浅いにも関わらず会社や組織の問題点を指摘したり改善提案などをムキになってやってしまった。
それでも、この会社は素晴らしく、新しいことや従来と異なるやり方等でも正しいことならば積極的に意見を取り入れて組織を改善していこうという風土があった。
しかし、そんな中にも当然、保守的な人間だっている。当時の僕の上司がそちら側のタイプだった。
そして、僕は上司に対しても全く配慮をしなかった。
完全に謙虚さを失ってしまっていたと思う。
前職の社員を番号で呼び、駒扱いする組織の考えと重なり、大きな恐怖を感じた。
そして、正論を一歩も引かずに上司にぶつけてしまった。
仕事や組織を良くしていこうと思う姿勢は間違えていなかったと思うが、あまりにも色々なことを焦ってしまい、欲張り過ぎてしまったと思う。
全ては、自分の病状がまだ万全ではなかったからであると思う。
今では、生意気なことを言わずに自分の目の前の小さな仕事をコツコツと取り組む大切さが理解できる。
そういう意味でも、この会社での経験は僕にとっては大きなものだった。
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最後に
なんだか書いていて自分が本当に小さくて情けないです…
いや、でも仕方ないです。等身大の自分を真っすぐみた結果ですから。
ダメなところを認めることが出来なければ、ラクにだってなれません。
充分に苦しんだし、少しずつでも認めて赦してあげたいと思います。
心から思うのですが、病気になったことすら何か僕に教えてくれている様な気がします。
そのまま上を見続けている内に人生が終わってしまうよ。
上ばかりをみてないで少しは周りをみてみたら?
そして、周りがみえるようになったら、少しずつ前を向いてみたら。
なんてね。
ここまでは、長ーく長ーく苦しい日々を過ごしてきました。
でも、このくらいの時期から、決して小さくはない一歩が踏み出せつつあるように思えます。
次回は、遂に現在もお世話になっている就労移行支援事業所での体験と自分に起きた変化を振り返りたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
つづきはコチラ👇
精神疾患者の人生物語「⑨就労移行支援事業所編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革
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