僕等が『面食い』なのには深い理由があった!!

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あなたは、『面食い』ですか?

「面食い」とは、「顔立ちのよい人ばかりを好む人」(広辞苑)のことなので、顔にこだわり、顔で恋愛相手や付き合う相手をみてしまうことです。

 

僕は、いわゆる『面食い』です。カワイイ人やカッコいい人が大好きです。
恋愛やセックスの相手はできるだけ美しい方がいいです。

 

こんなことを言うと、

 

「いやいや、人間大切なのは中身だよ。優しさであった

り、頭の回転がはやい人がいいオレ(わたし)は好きだ

な。」

 

という方もいるかもしれませんが、それでも相手が美しいのに越したことはないはずではないでしょうか?(^-^;

 

そもそも、人間の美意識や価値観って、それぞれ違っていいはずなのに何故みんながみんな一様に顔面にこだわるのでしょうか?

 

「顔が嫌いだから」という理由で振られることはあっても、「手が嫌いだから」という理由で振られることはめったにないのではないでしょうか?

 

今回は、僕等人間が『面食い』であることの秘密に迫ってみたいと思います。

 

そして、僕らの『好き・嫌い』という根本的な感情がどのようなとこから生まれてくるのかについても考えてみたいたいと思います。

 

それでは、お付き合いの程、よろしくお願いします。

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いつの時代にも「美男美女」の基準がある

そもそも、どういう顔が一般に好かれるかというのは、時代や社会環境によって異なります。

 

平安時代はオタフクが美人の典型と言われましたし、大正時代は竹久夢二が描くような柳腰の細面が美人と言われました。

 

それでも、どの時代、どこの国、地域でも美男美女という感覚や判断基準が必ず存在しています。

 

個性の時代と言われる現代でも、人の好みは多少あっても「彼女は美人だ」という意見は大きく外れることはないのではないでしょうか?

 

今年の流行のファッションやヘアスタイルを発表するように、「今世紀の日本の美人顔はこの顔です。」とどこかの権威ある団体が決めているワケでもないのに、何故か共通した「美人顔」というのが存在します。

 

これってとても不思議な気がしませんか?

僕等が『面食い』な理由とは?

そもそも本来は、自分だけの価値基準であったはずの「美しい」と思う感覚ですが、人間社会の中で言葉を使って伝達し合い、記憶するようになってから「美人」という共通概念が存在するようになっていきます。

 

そして、社会が拡大し情報伝達が発達すればするほど「美人」の共通概念はより強化されて、固定化されていきます。

 

たくさんの美人をみることで「美人顔の特徴」は淘汰され、その荒波に耐え抜いた「美人顔特徴」は社会的に認知されていきます。これは、最大公約数の「美人顔」と言えるかもしれません。

 

そして、今度はこの「美人顔」が逆に個人の美意識に多大な影響を与えます。

 

こうして、それぞれの個人の感覚で選んでいたはずの「美人」は知らず知らずのうちに社会が生み出した「美人顔特徴」に近づいていきます。

 

「美人顔特徴」は社会の流行でいくら変わろうと、その時その時の「美人顔特徴」は威力を放ち続けます。

 

美人顔とは、皇帝が交代しようとも国民に支持され続ける

大帝国のようなものなんですね。

 

この権威から、人は全くの自由でいられるのは難しいです。

 

これが、僕等が『面食い』が多い理由なんですね。

 

例えば、個人の価値観で眉毛は片っ方ないのが最も美しく、肌は白色ではなく緑色が最も美しいと思っても、それを語ることは今の日本では簡単に出来る事ではありません。

 

いや、むしろそんなことよりも「美人顔特徴」とは全く異なる価値観(肌の色は緑色がオシャレと思うなど)を持てないことの方が何やら恐ろしく思います。

 

大帝国の影響をモロに受けている証拠ですね。。

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僕らの嗜好・個性は、育った環境の中で生まれる

僕は、自分の嗜好や個性は生まれながらに持っている、固有のもの。先天的なもので、その個性がその人をその人たらしめるものなんだと信じていましたが、そうではないのかもしれません。

 

あの顔が好き!僕はカレーライスが好き!僕は野球が好き!

 

これらの気持ちがあなた固有のものではなく、実はあなたが触れてきた社会を投影したものに過ぎないと言われたらどうでしょうか?

 

こんなことを言ってしまうと、何やらロマンも夢も無くなってしまうようで少し悲しくなってしまいますね(^-^;

 

フランスで発見されたアヴェロンの野生児は内から込み上げてくるリビドー(本能的衝動)に苦しみはしても、それをどのように表現するかの術を知らなかったそうです。
自分が男か女かという意識すら持てなかったのです。

 

このことを考えると、僕等が『面食い』であるない以前にもっともっと深いところ、つまり、

 

男は女を好きになる。

女は男を好きになる。

僕は男だ。

私は女だ。

 

こんなことすら、僕等固有のものではなく、人間社会の中で僕等が認識できることなんですね。

 

まさに、「人は環境の子なり」と言えるような気がします。

 

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変わる為には環境を変えよう

何やら、深ーい深ーい話になってしまいましたね( ´∀` )

 

僕が面食いなのも、一流企業に憧れていたのも、お金がないと惨めになるのも、お寿司が好きなのも、自分という人間固有の単体から生まれたものではなく、人間社会の中で根付いたものであると思いました。

 

自分が好きだったり、いいなぁって思っているものは、これまでの自分の人生の中でみてきた世界の価値観でしか捉えることが出来ません。
いきなり、緑色の肌の女性を美しいと思うことなど出来ませんもん(ナメック星人じゃないんだから…)

 

でも、自分は生まれ変わりたいんです。

なぜなら、うつ病になったから。

 

その為に、自分の好き嫌いの価値観ではなく、まずは環境を変えるしかないと思いました。

 

自分の凝り固まった価値観から自由になることは簡単ではなく、恐らく時間が掛かると思います。

 

しかし、生きていく中で行き詰ってしまったら、環境を変えなければ自分も変われないと思うんです。

 

自分にとって新しい環境で新しい価値観に触れて、自分が生きていきやすい世界をみつけていくしかないんだと思います。

 

生きづらさを感じていて変わりたいと思っている方は、環境を変えてはいかがでしょうか?

 

そして、面食いであることは、何もアナタ固有の特徴ってわけでもなさそうですよ。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

 

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