面白い哲学【男と女は惹かれ合う】~快楽唯脳論~

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今回は、おもしろい哲学シリーズ第4弾です!

 

人気があるかはさておき、個人的には力を入れており大好きなシリーズの一つです😊

 

過去記事は、コチラ!!

【お気軽哲学】この世に絶対に在るモノ(物質)とは? - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

【お気軽哲学】”空”は在るのか?(笑) - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

面白い哲学【私とは何か?】~科学やら古代インド哲学~ - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

 

前回の記事では「私とは何か?」について哲学をし、

 

私とは認識するもの。

但し、私そのものは認識できない決して捉えられない存在。

 

という話をお伝えさせて頂きました。

 

今回はこの「認識」というものについて、僕たち人間の経験する最も現実的であらゆる屁理屈の通らない、あらゆる感覚(五感)の満載された、男と女のひかれあいや性のいとなみについて哲学をしていきたいと思います。

 

それでは、よろしくお願いいたします。

 

前回のおさらい:僕等の認識~赤は何故「赤い」のか? 

例えば、あなたは赤い花をみた時に「赤い」という質感を主観的に体験していると思います。
あなたの目に映る赤色というのは、無論これでしょう。

●  ☜ これ

しかし、今僕らの目に映っている「この色」は一体どんな仕組みで、どこからやってきたのでしょうか?

 

少々難しい話をするならば、僕らの目に「ある周波数の光」が入ると、「この色」だと分かるんですけど、それは別にこの独特な質感を僕等が経験することの説明には全くなっていません。

 

お脳さんは、赤色という電気信号を赤色であると認識する機能は持ち合わせています。
しかし、その赤色を「この色」として僕らに体験させるメカニズムは全く現在の科学では解明がされていませんし、これからも出来る見込みはありません。

 

アナタが赤色を「この色」として認識していますが、実は他の人は「この色」や「この色」の体験を赤色と認識している可能性だってあるんです。

 

この問題は、何も色だけの話ではありません。
「音」、「味」、「痛み」、「恐怖」、「悲しさ」、「嬉しさ」など、僕たちが感じるいっさいの質感(これをクオリアと呼ぶらしいです)について同じことが言えるんです。


要するに、人は、同じ体験は出来ますが(同じ周波数の光をみるということなど)、同じような質感を持った感覚でそれを認識しているとは限らないのです。

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僕等の感覚・認識がうろたえる時代となっている

京都大学名誉教授で性科学者、脳生理学者の大島清氏は、以下の様に語っています。

 

今の時代は幼少期に、バランスの取れた五感刺激を受けることなど夢のまた夢となってしまった。

 

脳に入力されるのは視、聴覚、つまりデジタル情報のみに限られた時代になってしまい、本来試行錯誤型のである人間の感覚・認識が追随できないでうろたえている。

 

飛び級で大学に入学に生まれる天才少年は生まれても、臭いや味わいや触れ合いの世界が見当たらない。

 

偏差値教育、読み、書き、そろばんだけの詰め込み教育で育った人間たちの性の営みは、もはや生き物であるヒトが所有していた「土」くさい触れ合いを忘れてしまっているように思える。

 

男と女の間で奏でられる性の触れ合いは「土」の感覚そのものである。
そこには生命の息づかいがある。

一方で「土」の対比として「工」がある。

 

「工」はテクノロジー、この凄まじい発展には敬意を表したいが、「工」には生命が宿っていない。
「工」に依存して生きるからこそ、「土」を忘れてはならない。「土」は生命をはらむ自然だからだ。

 

世の中が「工」の恩恵を受けて、凄まじく便利になっていますが、肝心な「土」としての存在である僕等人間の感覚・認識が追いついていないことを危惧している大島さんの指摘は、自殺者や精神障害者の数が増加している昨今の傾向から、学ぶべき点が多いと僕は思います。

感覚・認識を分かりあう唯一の方法~性愛のコミュニケーション~

先ほどから、伝えるとおり自分に内部に生まれる質感を伴った感覚・認識というものは、相手に提示することができません。


そして、昨今はこの問題を全く置いてけぼりにして、「工」の部分は凄まじい勢いで発展を遂げてきました。
ですが、動物としての根本的な「土」としての存在である僕等人間の孤独や、喜びは決して満たすことが出来ません。

 

しかし、それに近いことで唯一できるのが、性愛のコミュニケーションであると大島氏は語っております。

 

愛撫やセックスにおいて内部から湧きあがってくる言葉にならない快感を身体全体で伝えあいます。ごまかしの効かない空間で快感が高まっていく過程や様子を通じて、リアルタイムに感覚を共有することができるのです。

 

その「土」臭さを人は忘れてしまい、歪んだソフトウェアの指図に従ってロボットのようなデジタルセックスの方向に世界は進んでいるのではないでしょうか?

 

セックスレス、インターネットセックス、小児性愛、強姦、ストーカー、近親姦などはその一端に過ぎないように思われます。

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最後に

如何でしたか?

 

僕は、会社で働き続けた結果うつ病となりました。

 

それは、大島氏によるところの「工」に振り回されて、完全に「土」としての自分を失ってしまったことが、悲劇を生んでしまったのではないかと振り返ったりしています。

 

これからの時代は、AIがヒトの仕事にとって代わる動きが進み、ヒトの働き方や、生き方などが大きく変わるように思います。

 

ですが、根本にはいつの時代も変わらず、ヒトはヒトと分かり合うことや認め合うことを求めているのだと思います。

 

セックスをしまくるというワケでもないですが、ヒトと感性・認識を少しでも交わすことができるように生きていくことが幸せな生き方なんだろうなと思いました。

 

それは、感性・認識を交わすヒトの数ではなく深さが大切なのだろうなと思います。

 

愛情の深さともいえるかもしれません。

愛情深い人間になりたいなと思いました。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

 

↓↓僕等は、何故『面食い』なのだろう?と考えてみた記事もおススメです↓↓

www.piyotama.site

 

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