精神疾患者の人生物語「⑥社会人編(2社目)」

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みなさま、こんばんわ。

 

ぴよたま事わたくしは、サラリーマン生活でストレスを抱えて、遂に力尽き精神疾患者となりました。
そんな僕が、自分のこれまでの人生を振り返り、更にそれを赤裸々に公開しようと思ったのには理由があります。

  1. 残りの人生を少しでも楽しく充実させるべく、苦しかった部分にのみ焦点を当てて自己理解を深めて作戦を立てるため
  2. 実体験を発信することで、願わくばこの世のどこかで苦しんだり悩んだりしている人にほんの少しでも参考にしてもらったり、背中をさすってあげるような存在となりたいから

今回は、社会人2社目の外資半導体製造装置メーカーでの苦しかった経験を振り返っていきたいと思います。30歳手前くらいまでのお話ですね。

 

ではでは、お付き合いの程よろしくお願いいたします!

 

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過去の記事はコチラ!

精神疾患者の人生物語「①幼少期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「②思春期 前編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「③思春期 後編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「④青年期編」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

精神疾患者の人生物語「⑤社会人編(1社目)」 - 元うつ社員が挑む、キャリア形成改革

環境

平日(月)~(金)は、日本全国の顧客先に出張してビジネスホテルでの生活が中心。
終末は、実家に帰る生活スタイル。
プライベートでは、3年半付き合った彼女と別れ、今の妻と付き合い始めた。
妻と付き合い始めて、1年程経過後に若干の同棲期間を経て結婚。
(実家のすぐ近くの借家に住んだ)

個性的でほとんど全ての部下を辞めさせる上司の件

まずは、入社日に歓迎会に連れて行ってもらった時の思い出話から。

 

その時の上司は、仲の良い別の人と終始下品な話をしていて、僕の相手はその後も大変お世話になった先輩がしてくれた。そんな上司だったが、僕に向かって一言だけ、

 

「お前、○○よりも使えなかったらぶっ殺すからな!」

 

と言った。その時だけは、あんまり目が笑っていなかったなぁ(恐)。

 

僕の職種は、技術営業のようなもので顧客先に常駐する仕事だったのだけど、いい加減少しは仕事の話を僕にしてあげてよと周りから言われた上司は、僕に向かって

 

「仕事ぉ~?。うーん。まぁ~客の犬になることかな。いやぁ、こいつ犬になれっかなぁー(笑)」

 

と言って、周りを見渡しながら僕をからかう様にニヤニヤしていた。
この会社は新卒を採用しておらず、僕は第二新卒だったので最年少であった。

 

そんな上司のもとで、新たな社会人生活がはじまった。

 

上司について:
当時独身で仕事に妥協がない完ぺき主義タイプだった。
自分に出来る事や能力、仕事に対する姿勢の全てを部下にはとことん要求した。

 

本当に、マジで凄まじい人だった…

 

自分でやった方がラクで、遥かにはやいと思われるようなことであっても、決して途中でやりとりを投げ出すことはなく、とことん相手と向き合う人だった。

 

僕の社会人生活において、後にも先にもこの人ほど仕事に対して誠実な姿勢をもっていると思える人はいないと思える人だ。

 

上司と向き合うことは、一切の妥協が許されず本当に苦しくて堪らなかったが、仕事に対する姿勢や、基礎を叩き込んで貰えたことは本当にもの凄く感謝している。

 

このブログもそうだが、一応、最低限でも人に伝わる文章が書けるようになったのもこの時に上司に鍛えて貰ったおかげだと思う。
(それでも、上司がこのブログを読んだとしたら、分かりにくいし、下手くそでとてもみられないと一括されそうだが💦)

 

そんな上司のやり方だけど、如何せんやり過ぎだった。。。
とにかく相手に与えるプレッシャーがあまりにも酷すぎだった。
結局、長期に渡り膝を突き合わせる付き合いをすると精神的な圧力にとても耐えられず、ことごとく部下は会社を去っていった。

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お世話になった先輩が会社を去った件

次に、僕がこの会社で一番お世話になった先輩のお話を。

 

この先輩は、長い間このモンスター上司に必死に食らいつき続けていた。
上司とこの先輩は、まだ上司が管理職につく昔からの戦友で、プライベートでの付き合いもあり、本当に上司の右腕みたいな人だった。
上司も自分の上司以上に、この先輩に対して絶対の信頼を寄せていたように僕の目には映った。

 

それでも、やはり上司は先輩に対しても、あまりにやり過ぎのだろう...
ある日の朝、顧客先にあるプレハブの作業場の中で先輩が自分の意志で会社を辞めることを知った。

 

この上司と先輩の2人のコンビが僕にとってはこの会社そのものだったので、話を聞いた時には、自分が会社に残り、先輩が会社から去るということに凄い違和感があった。

 

そして、僕は上司に対して、それまで厳しくて嫌いだったけど仕事に対する姿勢や人間性にも惹かれてなんとか喰らいついていったけれど、僕の中では先輩を辞めさせてしまう上司がどうしても許せなかった。
同時に、辞めさせてしまう上司に対して、限界を感じてしまった。

 

幾らどれだけ不器用だったとしても、大切に育てた人間の気持ちを大切に出来ない人には僕はついていけないと思った。

 

先輩が辞めることを知らされた週の金曜に、新幹線で地元に戻った時に最寄駅まで妻(当時は彼女)が車で迎えに来てくれたが、その車内で何故かボロボロと声を上げて大泣きしてしまった。

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土日も(睡眠中も)常に意識していたブラックベリーの点滅

当時の仕事の環境についてのお話も少しだけ。

 

会社からブラックベリー(携帯)が支給されて、土日も常に持ち歩いていた。
外出先などでも常にメールを確認し、どこにいても何をしても全く気を休めることは出来なかった。
平日はビジネスホテルに滞在していることが上司も分かっているので深夜の仕事の指示やTELは当たり前だった。

 

上司の意向で、土曜日の間にその週のレポートを部下は上司に挙げるのだけど、一度送ると

 

「○○の件はどうなってんの?てか、これをもっと、まとめろや!」

 

などなど、やり取りが発生する。
そしてそのやり取りはグループの部下全員がCCで晒される。
グループ間での情報共有も含め、そこから本当の仕事がはじまることもしばしば。

 

仮に、そんな時にプライベートで外出などしていてメールのやり取りで知らないうちに話が自分に振られた状態なのにメールで回答をしないでいると勿論すぐにTELが掛かってくるし、アンテナを張っていなければならないという緊張感がすさまじかった。

 

結局、日曜日の夕方に上司が米国本社に部下の情報も踏まえた自分のチームのまとめのレポートを送信完了したことをCCメールで確認するまでは、全ての部下たちは精神的に解放されなかった。

 

そして、月曜からは顧客先のビジネスホテルでの生活がはじまり家族との時間やプライベートがとにかくなかった。
僕は、常にブラックベリーのメール着信を知らせる赤いランプ点滅に神経をすり減らす身体に見事に調教された。(寝ている時も枕元に置いて、途中で起きた時に確認していたほど(-_-;)

 

今でも妻にとっては、このブラックベリーを気にする僕の姿は印象的だったみたいだ。

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当時を振り返って思う事

仕事の基礎や取り組む姿勢など多くの事を上司や先輩に教えて貰って感謝の気持ちがもの凄く大きい。

 

一方で、やはり相変わらず自信が持てなくて、上司の行き過ぎたやり方などに対する自分の思いや意見を全く伝えることが出来ずに顔色を窺うだけだったのが、情けないと思う。

 

それが例え、
上司と別のチームの課長と僕の3人で食事に行った時に、
最近の部下達は生意気で逆らう奴らが多くて困るんだよなーと別のチームの課長が言い、僕の上司が、そんなの簡単だよ。絶対逆らえない様に恐怖心を植え付ければいいんだよと笑いながら話しているのを聞いていたとしても。。。
(その時は居心地が相当に悪くて、ご飯を喉に通すのにもの凄く苦労したなぁ。。)

 

結果として、多くの部下を失っている上司のことを考えても、やはり自分の思いを伝えられなかったことには後悔がある。
例え恐くて恐ろしい上司でも、1人の大人の男として、やはり面と向かって自分の思いを言わずに陰でいじけて苦しむのは不誠実だし、本当に申し訳なかったと思う。

 

最終的に会社を去る時も上司に自分の思いを伝える事が出来なかったことはやはり残念だった。いつか、お礼くらいは言いたいな。

 

ちなみに会社自体は、離職率も異様に高く企業理念のような美しいもので繋がる組織体制などではなかったけど、その分風通しがよく、これまでのどの職場よりも自分に合っていたかなとは思う。

 

日本法人は海外本社の方針に振り回される現地の販売会社という位置づけだったので、いきなりリストラがあったり、長居するには色々と大変そうではあったけど。

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最後に

さて、2社目の外資系編をお送りして参りました。
この会社で学んだことが、その後の社会人としての僕の軸となりました。

 

今は、就労移行支援事業所に通所して、社会復帰を目指している状況ですが、自分の強みを考えてみると、ほとんどがこの会社での経験が頭に浮かびます。

 

次回は、3社目で日系の超大企業編です。
ここで、遂にストレス限界値が臨界点に達し、精神病院送りとなり休職~退職と追い込まれていきます。

 

壮絶な人間ドラマを心して待て!!
待っててください。

 

じっくりと振り返っていきたいと思います。
それでは、今回はこれまで。

 

次回またお会いしましょう。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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