人間社会を生き抜くヒントを論語から学んでみた

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以前に書いたコチラの記事で、人間性と人間社会って絡み合ってはいるけれど、一元的で単純なものではないですよねー。そして、読者や勉強というのを煎じ詰めていくと結局はこの二つのテーマにぶつかるといえるのではないでしょうか?なーんて話をさせていただきました。

 

そこで、今回は、そのうちのとりわけ多くの人がこの世で生きるために無関心ではいられない、『人間社会のメカニズム』の方について、まさに長い歴史の中で熱烈な支持を受けてきた論語を取り上げて考えてみたいと思います。

 

論語に関しては、コチラの書籍がとても読みやすくておススメです♪

 
それでは、よろしくお願いします😊

 

論語とは人間社会を生き抜く為の実用書

論語は、古典学者によってさまざまな解釈がなされますが、故谷沢永一氏(文芸評論家、書誌学者、関西大学名誉教授)は、

 

論語とは、どんな場合でも人間を人間社会の中に置いて論じている。

 

と述べています。

 

これは、個人の人間性というものを社会から切り離して、つまり一個人の人間としての抽象的な存在として捉えて鍛えたり、錬磨するということは全く考えていないということです。

 

悪徳をなくして、すばらしい人間に成長しましょうなどという宗教的な立場はまるでないのです。

 

論語と聞くと何やら、人間の根幹思想のあるべき姿を説くものみたいに素人である僕などは思いがちでしたが、違うんですね。そんな事には全く触れられていないようです。

 

論語の示すところは、人間社会を賢く生き抜く為には様々な考えがあるだろうけど、こんな風に考えたら結局、一番お得で有利に進めることが出来るんじゃない?

 

そんな、人間社会を生き抜く為のアドバイスが詰まった実用書が論語なんですね。

 
そのことを、いくつかの名言を取り上げつつみていきたいと思います。

人間社会を生き抜く為には、『信用』を勝ち取れ!!

子曰わく、人にして信なくば、其の可(か)なるを知らざるなり。大車(たいしゃ)輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)軏(げつ)なくば、其れ何を以て之を行らんや。

 

訳:
子曰く、人間がもし信用をなくせば、どこにも使いみちがなくなる。馬車に轅がなく、大八車に梶棒がないようなもので、ひっぱって行きようがない。

ここで、「信」というキーワードが出てきます。
この信という語は、人間の内部の心構えのことと訳したがる習慣が支配的でしたが、論語とは人間を人間関係の中において論じているという観点に立つと、

 

『信』とは、他者からの信用があるかないかということ

 

という捉え方が適していると谷沢氏は指摘しています。

つまり、この一節の教訓は、人間社会で生き抜く為には、人からの信用を勝ち取らなはじまらんし、それがなければあかんよということです。

 

いやはや、深く、ずっしりと刺さる忠告です。
全く異論はございませんね(^-^;

 

結局、人間関係は、人間が他の人間を観察することによってしか成立しません。
そして、その判断基準は人によって色々とあるとは思いますが、つまるところ相手を信頼するに足る人物とみるかどうか、という一点に掛かってくるのではないでしょうか?

 

能力があるとか、地位があるとか色々とありますが、万人に通用する最後の決め手は、この「信」ということなのだと論語は説いています。

 

では、どうすれば人からの信用を勝ち取れると論語ではアドバイスしているのでしょうか??

『礼』というキーワード

僕は、古典学者でもありませんし、論語を深く研究できてもいないのですが、素人なりに解釈をすると、孔子「礼」と言うキーワードを挙げています。

 

人間は必ず「外」からみられており、その為人間にとって「外」は極めて大事です。
キリスト教などは懺悔の文化であり、抽象的な人間の心の内部を重要視しますが、孔子は、外面表れる「礼」を尊べと言っています。

 

そして、この「礼」とは決して杓子定規な礼儀作法を指すものではありません。

 

イギリスの女王ヴィクトリアが、文化の違う客人がそれと知らずに手を洗うためのフィンガーボールを飲んでしまった際に、マナー違反だと相手を叱責する訳でも間違いを指摘する訳でもなく、相手の立場を考えて、不快にさせず、恥を欠かせないために自分もフィンガーボールを飲んで和やかに会食を終えたというエピソードのように、その場所の人間の人情に従えということなのです。

 

では、腹の中では「ふざけんな~、やってられるかぁー」と思いつつ、上辺だけ取り繕えばよいと論語では言っているのかというとどうも、そうでもないらしいです。

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結局、人は全てを見抜き、見抜かれる

子曰わく、其の以(な)す所(ところ)を視(み)、其の由る所を観(み)其の安んずる所を察(み)れば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや。

 

訳:

子曰く、人間はその行っていることを注視し、その由来するところを看取し、その安心しているところを察知すれば、その性質は匿そうたって匿しおおせるものではない。心の底まで見抜けるものだ

これが、人間社会の皮肉なところ、おもしろいところですが絶対に心の中は最終的に見透かされてしまうのがこの世ですと説いています。 

 

子曰く、惟(た)だ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む

 

訳:

子曰く、好むべき人を好み、憎むべき人を憎むことができたなら、それは最高の人格者と言える。 

これは、みせかけだけのヒューマニズムのお説教に対する大変きつい反駁ですね。

 

孔子は、誰とでもベタベタと仲良くやりなさいなどと甘ったれたことは説かず、自分にとってはっきりと退けなければならない相手に対しては全身全霊をかけて排斥せよと説いています。

 

確かに、ことを有効に前へ進めていく為には、誰も憎まず誰に対しても正当な批判の眼を向けない人間を僕等は本当に信用できるのだろうかという気もしますね。

 

グローバル化、他者共存、多様性などという声が多く聞かれる昨今ですが、むしろ現実は全く逆で、堂々と全体最適化とは逆行する少数派の意見を言いにくくなっている世の中になってきていると思い、とても考えさせられます。

最後に

まだまだ、挙げればキリがないですが、今回論語を少しだけですが、学んでみて、人間社会を『信』というキーワードで考えてみました。

 

そして、それを勝ち取る為に、以下のようなことを心掛けたいと思いました。

 

  • 『礼』(相手への配慮、恥を欠かせない、不快にさせないと慮る姿勢)を大切にする。
  • 『礼』を大切にしない相手は全身全霊で切り捨てる。

 

皆さまは如何お考えでしょうか?

 

人間社会の荒波を上手く乗り切る方法に正解なんてあるのかは分かりませんが、上手く攻略して人生をオモシロ可笑しく生きていきたいものですね。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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